外国人が目立った東京マラソン

1位が通過

11回目を迎えた東京マラソン。
今年からコースが変わって、ゴールが東京駅前となった。

このため、これまではコースの前半に設定されていた港区芝から品川にかけてのコースは、後半のコースに変更になった。

都庁をスタートし、銀座、浅草、門前仲町などを走ってきたトップランナーが、ようやく姿を見せた。

2時間3分58秒のタイムでゴールしたキプサング選手などケニアの2人の選手だ。

市民ランナーが続々

市民ランナーたちの姿がこのコースを埋めるようになるのは、先頭ランナーが通過して1時間もたってからになる。

画面の左側はゴールの東京駅前に進むランナーたち。ゴールまで残り4キロほどのところだ。

品川の折り返し点に向かう方が多い

前の写真からカメラを右に振って、写したもの。

右手、突き当りの田町駅前から品川駅近くの折り返しに向かい、帰ってきたランナーが右側のコースを走っている。

外国人は6人に一人

沿道で応援する方としては、こうしてランナーの数が多くなってくると楽しい。

仮装をはじめとして、それぞれが走りを楽しんでいる様子がよくわかるからだ。

左の2人、日の丸の鉢巻きをしているのは外国人だ。

マイケルジャクソン?

これは、マイケルジャクソンの仮装でしょうね。

仮装ランナーが多くなる

ラテン系の踊りでもする人なのでしょうか。

そういえば、これまでの大会では、阿波踊りの連の人たちがまとまって走り、途中所々で立ち止まっては、阿波踊りを披露していたっけ。

今回は参加していたのかどうか、私は確認することはできなかった。

ペアの衣装が目立った

この二人は、同じ衣装で統一、よく目立った。

今回、ランナーを撮影した写真を後で見直していると、外国人の数が大変多いことに気がついた。

日の丸を腹に付けて

この人は、日の丸をおなかのところに付けている。

日本への思いが感じられて、こちらも応援したくなる。

女城主景虎?

これは、大河ドラマ「女城主景虎」を意識したものかと思ったのだが。

ショールを手放せない外国のランナーのようだった。他にも、もう一人見かけた。

大会のホームページで調べると、フルマラソンを走った3万5千人余りのうち外国籍ランナーは6241人。

率にして17.6パーセントになる。つまり、6人に1人の割合だ。

アッポーペン

こちらは日本のランナーのよう。

手にリンゴとペンを持っているのが分かる。

お相撲さんの恰好

どこまでが張りぼてなのか、
ゼッケンもよく見えないので、本当にまわし姿で走っているように見えた。

視覚障害のランナーも

かなりの年配の方が、こうして走っているのを見て、私も元気をもらった。

完走を目指すペースメーカー

マラソンの制限時間は6時間40分。

完走を目指すためのペースランナーと選手の一団が、走ってゆく。

ここがランナーのほぼ最後尾。

ランナーが通った後は、ゴミ拾い

ランナーの姿が見えなくなると、沿道にいるボランティアたちが、道路上のごみを拾い集めていた。

路上に、ごみは全く見えない。

収容バスが通って、大会は終了

そして、「収容」と書かれたバスなどが、その後を追う。

こうして今年は、穏やかな天気に恵まれ、何事もなく終了。

大会を支えた多くの方の努力に心から拍手を送りたい。

また来年も、こうして安全で楽しい大会であってほしいと思う。
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過ぎたるは及ばざるがごとし

姫路城マラソン参加案内1

毎年、2回はフルマラソンを走るつもりで、日々トレーニングを重ねてきた。

今年初めての大会は、「姫路城マラソン2016」。

去年始まったばかりの新しい大会だ。

世界遺産で、建物の修復が終わったばかりの「白鷺」の美しい姿が見たくて応募し、当選した。

このため、去年秋の富山マラソンの後も練習を欠かさず、フルマラソンに耐える体を作るために努力してきたつもりだった。

しかし  「過ぎたるは及ばざるがごとし」。

練習をしすぎて、ひざを痛めてしまった。

それから3か月、
ひざの負担を考えてウォーキングをしながら回復に努めてきたのに、痛みが消えないまま大会への出発前日を迎えてしまった。

健康チェックリスト

ナンバーカードをもらうには、引換証の裏に書かれた健康チェックリストを確認し、

「万全な体調で参加します」との誓約書に署名しなければならない。

無理に大会に出場して、関係者の方に迷惑をかけてもいけない。

その結果、誠に残念だが、大会への参加は取りやめることにした。

でも、飛行機も、宿も予約してある。

そこで考えた。

姫路城から、マラソンランナーのスタートを見送ったあと、

足を延ばして忠臣蔵の「赤穂城」や、かつて暮らしていた北陸のお城も訪ねてみよう。

「お城探訪マラソン」と位置づけ、日本の築城文化を堪能する旅にしよう。

ということで、今回は、マラソン参加リポートをブログで紹介できないので、

帰ったら「お城」で感じた事、発見したことを紹介できたらと考えている。

今年は暖冬で、インフルエンザの流行は今がピークとか、

そしてまもなく、花粉のシーズンも始まろうとしている。

どうか皆さん、どうぞ健康にどうぞご注意ください。

それが一番大事。

今、それをつくづく実感しています。

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「富山マラソン2015」を走ってきた

マラソンポスター

富山県で開かれた「富山マラソン2015」を走ってきた。

北陸新幹線が金沢まで開業したのを記念して、今年初めて開かれたものだ。

実は金沢でも、このマラソンから2週間後に新幹線の開業を祝って「第一回の金沢マラソン」が開かれる。

実は私は、北陸での暮らしが合わせて14年にも及び、いずれの県にも愛着があって両方の大会にエントリーしていた。

その結果、金沢のほうは抽選で落選。こちらに参加することになったのだ。

スタートは高岡古城公園

富山マラソンのスタートは、県下第二の都市・高岡市。

高岡市は、”加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち”として、文化庁が認定する「日本遺産」の町の一つに選ばれている。

在来線の車両に藤子不二雄さんの絵が

スタート地点の高岡古城公園近くを走る在来線の車両には、この町とゆかりの深い漫画家・藤子不二雄さんの作品に登場するキャラクターが描かれていた。

警察犬が不審な荷物をチェック

走る前に着替えなどの荷物を預けるのだが、その中に不審なものがないかどうか、警察犬が活躍していた。

安全に運営するために、大会の裏側で尽力する方たちの取り組みに感謝する。

そして、間もなくスタートだ。

高岡大仏の信号で止められた

これまで数多くの大会を走ってきたが、今回初めての珍しい体験をした。

それはここ、高岡大仏を望む交差点での出来事だった。

高岡大仏は、高岡銅器など鋳物生産で知られる高岡市の観光スポットの一つ、

そこで、なんと「赤信号」で止められてしまったのだ。

ふつうは、大会に合わせて車両規制をして信号は消えているのだが。

歴史的な街並みが素敵だ

街道筋には、土蔵造りの家々が立ち並び、歴史を感じさせる。

この建物は、前田利家のころから伝わる曳山(御車山・みくるまやま)などを紹介する建物のようだった。

コース沿道には、何台もの華やかな御車山が曳きだされ、ランナーにエールを送ってくれていた。

有森裕子さん

走り始めておよそ5キロ地点、折り返しのランナーで込み合う道路の真ん中で、大きな声でランナーを励ます声が聞こえた。

有森裕子さんだった。

道の両サイドを走るランナーとハイタッチをしていた。

私はゴール直前、富山市で同じようにランナーを元気づけていた有森さんと再び出会い、ハイタッチをしてもらった。

この場所以外でも、たくさんのランナーにパワーを与えていたのだろう。

富山県の民謡で応援

沿道の応援はとても熱心だった。

このグループは歌での声援。

歌は、確か「こきりこ」だった。
私も走りながら、その一節を一緒に口ずさんだ。

海王丸

立川志の輔さんの故郷・射水市に架かる「新湊大橋」を走る。

水面からの高さが40メートルを超える橋の上から、「海の貴婦人」と呼ばれる帆船・海王丸が見えた。

この日は総帆展帆・・・・すべての帆を展開して、ランナーたちを迎えてくれた。

青空のもと、白い帆がまぶしかった。

獅子舞の宝庫・北陸

北陸には、様々な獅子舞が伝えられ、今も残っている。

獅子はライオンだから、日本にはそもそも生息しない動物だ。

それがシルクロードを経て日本に伝わり、日本というの風土の中で、今日のような形となって伝承されてきたのだろう。

今からちょうど20年前の1995年、富山県五箇山と岐阜県白川郷が世界文化遺産に指定されたとき、

五箇山の合掌集落で獅子舞が地区を練り歩いていたことを思い出した。

万葉人の応援も

こちらの人たちの扮装は、万葉人をイメージしたもの。

万葉集を編纂した一人ともいわれる大伴家持は、この地ととても縁が深いことに由来している。

というのは奈良時代、家持が29歳の時、越中国司に任命され、現在の高岡市伏木で5年間暮らしていたからだ。

万葉集の中に、家持が越中で詠んだ歌は220首余りもある。

このため、高岡市では毎年秋、万葉集全20巻を朗唱するなどの「高岡万葉まつり」が開かれている。

流鏑馬の馬も

こちらは、地元神社のお祭りで、流鏑馬に参加するお馬さん。

係りの人に尋ねると、「ランナーの応援のためにやってきた」のだと話していた。

フル300回達成

この人のタスキには「フル完走300回達成」と書いてある。

この方が70歳以上であることは間違いないだろう。

家に帰って、参加者データを見ると、フルマラソン、2キロ、3キロ、5キロの部を合わせて、80歳代の参加者は8人、

70歳代は177人となっている。

この方が、仮に今80歳として、20歳から走り始めたとすると、

その60年の間に300回のフルを走るには、年間5回もフルを走らなければならない。

大変なことだ。

ちょうどこのころ、携帯に北海道の友人から電話が入った。

30キロを過ぎて肉体的に一番つらく、歩き始める人も多くなる距離だ。

電話は「ブログの更新が少ないので心配してた」とのことだった。

心配をかけて申し訳なかったが、胸突き八丁のところで電話をもらい、元気をもらうことができた。

正面に立山連峰

ゴールの富山市が少しずつ近づいてきた。

秋晴れの正面に、立山連峰がくっきりとその姿を見せている。

大会の関係者が、「立山、その左に劔岳。こんなにはっきり見えるのは珍しいよ」と声をかけてくれる。

金さんも疲れた

前を行くのは、どうやら「遠山の金さん」。

疲れたようで、歩き始めていた。

こんな扮装をしていると、沿道から盛んに応援の声がかかる。

仮装する人の強みはそんなところにあるのだが、この辺は田んぼが多く人は少ない。

このゼッケンも力になった

これは私のゼッケン。

こうして、ゼッケンに自分の愛称を書いてもらうことができる。

このおかげで沿道の人から、何回も 「かっちゃーん 頑張って!」と声をかけてもらった。

とてもうれしかった。何か子供のころに帰ったようだ。

そのたびに元気をもらい、「ありがとう」と大きな声を返して、歩みを進める。

ゴールへ

「明けない夜はない」、「ゴールのないマラソンもない」

ということで、ついにゴールがやってきた。

今回も足指の一部に血豆ができ、まだ痛みが残るが、

「フルマラソンを走れたありがたさ」を味わうことができた。

「感謝、感謝」。


次は、来年2月の「世界遺産姫路マラソン2016」だ。











第一回「横浜マラソン」参加の記

持ちタイムごとにランナー集合

3月15日、「第一回横浜マラソン」を走ってきた。

8年前の東京マラソンの成功を受けて、日本各地で市民マラソンが続々と誕生している。

大阪、京都、神戸、福岡、奈良等々、春近い今頃の季節と秋には、各地でマラソン大会が目白押しだ。

横浜マラソンの定員は2万4千人、東京マラソンは3万6千人だから1万2千人少ないとはいえ、大変な人数が集まった。

ランナーは各自の持ちタイムに合わせて、それぞれの集合場所でスタートを待つ。

私の集合場所は持ちタイムが最も遅い組だったが、その場所からスタート地点を撮影してみた。

スタート地点は遙かに遠く、ランナーの人影も小さく見える。
セレモニーの音もほとんど聞こえない。

いよいよスタート地点へ

朝8時30分に号砲が鳴ってから、スタート地点までやってきたのは、なんと23分以上も経過してからだった。

剛力彩芽さんがいた

神奈川県知事や横浜市長と並んでスタート台に立っていたのは、横浜出身の剛力彩芽さん、体操の米田功さん。

次々と通過するランナーに声援を送ってくれた。

もう一人のゲストの谷原章介さんは、10キロの部に出場するため、この時は走り始めていたようだ。

赤レンガ倉庫の横を通る

しばらく走ると、赤レンガ倉庫が見えてきた。

倉庫を活用した建物の内部には、横浜らしい品物を扱う店などがあり、横浜の観光スポットの一つでもある。

自転車の警察官

レース中の事件など不祥事を未然に防ぐため、自転車に乗った警察官の姿も見かけた。

自転車にはカメラもついていた。

そんな様子を見ると、走っていても心強いし、ありがたい。

東京マラソンでは、走りながら警備を行う「ランニングポリス」が登場して注目されたが、こちらは「サイクリングポリス」とでも云うのかな?。

ファンクル化粧品

街の中心部は応援の人がとても多く、元気をもらった。

化粧品会社の前では、社員・スタッフが多数沿道に出て、にぎやかに応援。

垂れ幕には「目指せ完走 ふせげ乾燥」と書いてあり、思わず「うまい!」と思った。

英一番館跡の碑

さすがに横浜市内には、歴史を感じさせる建物や碑が多い。

大桟橋付近で「英一番館跡」と書かれた碑を見かけた。

家に帰って調べると、こんなふうに書いてあった。

ペリー来航後、1859年に横浜は開港された。

この場所は外国人居留地だったところで、ここに日本に進出した外資系企業の第一号と言える英国の商社が進出、貿易を始めたのだという。

そして、その商館を作ったのは、鹿島岩吉という大工。つまり現在の鹿島建設の創業者なのだという。

楽しみは「ラッキー給食」

今回のマラソンの楽しみの一つは「ラッキー給食」だった。

18か所ある給水ポイントで、とても魅力的な食べ物が提供されるとパンフレットなどに書いてあった。
しかし、「数が限られていて、すべてのランナーが食べられるわけではない」とも書いてあった。

給食の内容は、シウマイ、グラタン、レアチーズ、サブレ 等々だ。

ところが

ところが、私のように遅いランナーが給水ポイントに着く頃は、先行ランナーに全て食べつくされてしまう。

このテーブルには、イチゴの「トチオトメ」があったはずだが、おばちゃんは手で「残念でした ×(ありませんよ)のジェスチャー」。

これには、がっかりだった。

結局、一つもラッキー給食は当たらなかった。

首都高速湾岸線

このマラソンは、高速道路を走るのも大きな特徴。

20キロ地点ぐらいから10キロ余りも走る。

怪我の無いように配慮

道路上には、コンクリートのつなぎ目がいくつもあり、そのままだとつなぎ目にある隙間に足をとられるおそれがあった。

しかし、そのつなぎ目にマグネットシートを張って怪我の無いようにしてくれたので、足を痛めることもなかった。

移動トイレ

高速道路上には、所々に移動トイレをのせたトラックを配置されていてありがたかった。

しかし、高速道路は微妙に傾斜があり、普通の車道を走るより、疲労感は強かった。

給水所のパフォーマンス・マジック

横浜マラソンで楽しかったのは、各給水所でくりひろげられた「給水パフォーマンス」。
これはマジックパフォーマンス、日本奇術協会の人たちの取り組みだ。

ロボットダンス

これは「ロボットダンス」。

体育会系

このパフォーマンスのタイトルは「体育会系」。

日本体育大学の学生たちの演技で、さすがに見事だった。

金沢マラソンの宣伝チーム

様々な応援に力を貰いながら、横浜中心部まで戻ってきた。

すると目の前に、この秋に開かれる「金沢マラソン」を宣伝する3人のランナーを見つけた。

ぜひ参加したいと思っていたので「金沢マラソン宣伝の皆さんですか?」と声をかけてみた。

「そうです」との答え。

追い抜いて、振り向きざま写真を撮らせてもらったが、その時足がもつれて転倒してしまった。

その影響で、この写真は相当ぶれてしまった。

すぐに起き上がって、その時は何ともなかったが、

時間がたち、帰る電車内では足腰が痛みだした。2日たっても、まだ痛みは残っている。

フィニッシュ

そしてフィニッシュ。

スタートから5時間余りかかって、やっとたどりついた。

俳優の鶴見信吾さんは、この大会が初マラソンで、タイムは3時間12分58秒だったとニュースで知った。50歳とのことだが凄いタイムだ。

しかし、私の目標はタイムではなく、完走すること。

そろそろ「古希」も見えてくるこの年になっても、まだフルマラソンを走れることがうれしい。

この日も、ほとんど歩くことなく走ることができた。

このあと、何歳まで走れるのか分からないが、頑張れるだけ頑張りたいと思う。

横浜マラソン翌日には、早速「第一回金沢マラソン」の申し込みを、済ませた。

是非、当選しますように。



福岡マラソンへ

参加者の受付

11月9日に開かれた「福岡マラソン」を走ってきた。

前日、福岡の中心・天神の駅近くにある福岡市役所裏で、参加者の受付をする。

参加ランナーの数は、1万人。応募は5万人にも上ったというから相当な倍率になる。

福岡には今から30年余り前、4年ほど暮らしていたから、土地勘はまだ残っているかと思っていたが、町の変貌は驚くほどだった。

空港まで地下鉄が走るようになっていて、博多駅までわずか2駅。

街並みもきれいに整備され、昔の面影は薄くなってしまった。

大丸デパートの中にあった、「赤のれん」というお気に入りの博多ラーメンの店もなくなっていた。

相撲のふれ太鼓

今年も博多は「相撲の季節」を迎えていた。

本場所が始まることを、「触れ太鼓」が市内のあちらこちらを巡り、告げてゆく。

福岡に晩秋を告げる歳時記だ。

地下鉄のポスター

地下鉄で、こんなポスターを見つけた。

福岡市長選挙への投票を呼び掛ける啓発ポスターだ。

野球ファンの方なら、ポスターに書かれた語句が何であるのか、すぐお分かりになるはず。

日本シリーズ後に全国各地のイオンやダイエーの店舗で流れていたあの歌・『ダイエーホークス』の応援歌だ。

福岡市民なら誰でも知っているこの曲の替え歌で、投票率のアップを目指そうというものだ。

最後のフレーズ「我らの 我らの ダイエーホ(オ)ークス」のところは、覚えている方も多いのでは。

生の松原 元寇防塁

マラソンのスタートは、翌日の朝8時20分。

今回も、懐かしい街並みを撮影しながら、のんびりと走ろうと計画していた。

ところが荷物を預けて、いざ走り出したところ、カメラの電池が切れていることが判明。

楽しみにしていた市内の街並みや、博多湾の美しい景色を撮影することはできなかった。

元寇防塁のすぐそばを走りながら、写真を撮影できず残念な思いだった。

そこで走った翌日、電車に乗って、生の松原(いきのまつばら)に今も残る「元寇防塁」を再び訪ねた。

この遺跡は、今回のコースのすぐ近くにある。

私が福岡で暮らしていた当時、元寇の弘安の役(1281年)からちょうど700年という節目を迎えていたこともあり、訪ねたことがあった。

博多湾を望むと正面に、作家・檀一雄が一時暮らしていた能古島(のこのしま)や玄界島を望む松林の一角に碑が建っている。

そのすぐ近くで、太極拳の稽古に励むおばさんの姿があった。

竹崎季長

元寇が、博多湾に侵入してきた1回目は1274年(文永の役)、それを受けて時の鎌倉幕府は九州の御家人に命じて博多湾の海岸線に防塁を築かせる。

この付近の防塁を築いたのは肥後(熊本)の竹崎季長。

彼がその防塁の前で馬に乗っている姿を描いた「蒙古襲来絵詞」が今に残っている。

その絵巻物の一部が陶板になって、防塁の前に展示されていた。

700年余前の合戦の現場

これが、その防塁。

竹崎季長は、文永の役から7年後の1281年、この防塁を盾にして元軍と戦い奮戦する(弘安の役)。

この戦いの中で、歴史上名高い「神風」が吹き、元軍は壊滅的な打撃を受ける。

日本は国土を激しく蹂躙されることはなかった。

それから730年余り、

今は、静かに波が打ち寄せるだけの、穏やかな景色が広がっている。

しかし、この場に立ってみると、700年も前の出来事が実感を持って感じられる。

人間が生きてきた「とき・時間」「歴史」に思いをはせるひとときとなった。

そして、防塁を訪ねた後に、

「軍師官兵衛」ゆかりの福岡城と、城跡にかつてあった平和台球場の今を訪ねた。

その様子は、次の機会にご紹介したい。
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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