どっこい今も生きている②


富山チンドンコンクール

富山で見つけた「どっこい今も生きている」、今回はこれを紹介したい。

もちろん「チンドン屋さん」とは、かね・太鼓などでにぎやかに、開店・特売などのPRをして歩く街頭宣伝の人たちのことだが、

今では「チンドン屋さんを見たことも聞いたこともない」という子供たちも、きっと多いことだろう。

富山市では、毎年春、桜の季節に「全国チンドンコンクール」が行われ、

全国で活躍するチンドンマンが集まって、その技量を競っている。

昭和30年の第一回ポスター

コンクールが始まったのは昭和30年。

終戦直前の大空襲で街が廃墟と化してから10年、富山市は再生し始めた街に季節毎の祭りをつくり、街を活性化しようと考えた。

そこで企画されたのが「全国チンドンコンクール」だった。

当時、チンドン屋は戦後の社会の中で最も元気な存在だった時代。

関係者が「神田の繁華街で見かけたチンドン屋の姿が、そのヒントになったらしい」という。

とんま天狗の扮装

昭和30年代、人々に人気のあったキャラクターは、鞍馬天狗、旗本退屈男、丹下左膳などの時代劇の主人公。

そういえば当時、そんな時代劇を小学校のグラウンドに布のスクリーンを立て、むしろを敷いて見たことを思い出す。

杉作の絶体絶命のピンチに、白馬にまたがった嵐寛寿郎の鞍馬天狗があらわれると、思わず拍手。盛り上がったなあ。

テレビでは、大村崑さんの「とんま天狗」などが大人気。

チンドン屋さんも、そんな扮装が多かったというのもよくわかる。

映画スターをゲストに迎えたことも

昭和40年にかけて、チンドンコンクールもすっかり定着。

映画俳優をゲストに迎えるなどして、たくさんの観客を集めた。

アマチュアの参加も

私が富山を離れてから約20年、

時代の移り変わりの中で、「チンドン屋さん」は今も健在なのかどうか知らずにいた。

しかし、駅前の県のPRスペースにあるこの展示で、「チンドンマンとチンドンコンクール」は今も健在であることを知った。

平成22年のコンクールに参加したのは、全国から集まったプロが90人、アマチュアを含めると総勢400人にも上り、大いに盛り上がったという。

平成24年には、アマチュアから2組がプロに転向したと紹介されている。

今年で61回

今年の第61回コンクール決勝のビデオも上映されていたが、北陸新幹線をPRするグループの口上は見事なものだった。

新幹線はCO2の削減・環境にも良いとの内容を、チンドンや音楽を混ぜながら楽しく伝えていた。

宣伝媒体として、時代とともにその存在感を薄めてきた感のある「チンドン屋さん」だが、

すっかり消え去る運命にあると私が思い込んでいたのは、正しくないのかもしれない。

チンドン屋さんの周りには、いつも楽しく温かい空気が広がっている。

そのぬくもりが、デジタルの時代の中で、この仕事を長らえさせてきた大きな力となっているのだろう。

国道246であったチンドン屋さん

2年前、渋谷から世田谷に抜ける国道246号沿線をジョギングしていて、このチンドン屋さんと出会った。

開店10周年のPRだった。

なぜか、とても懐かしいものに出会ったようで、うれしかったことを覚えている。

写真を撮らせてもらったら、笑顔で応じてくれた。

この皆さんは、いま、どうしているだろう。

チンドンコンクールへ参加は? そして、まだ、元気に活躍されているだろうか。





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どっこい生きている

富山の薬屋さん

JR富山駅前に立つ「富山の薬屋さん」と題した銅像。

若い人は知らない人も多いだろう。

「越中富山」といえば、そのあとに続く言葉は昔から「薬売り」というのが定番だった。

ただ、私が富山に暮らしていたころは、この呼び名ではなく、地元の経済に貢献したことから尊敬の念を込めて、
「薬売り」ではなく「(家庭配置薬の)売薬さん」という呼び名が多く使われていた。

家に薬を運んだ

年配の方なら、年に1回、薬を持って家にやってきた「薬のおじさん」のことを覚えていることだろう。

薬箱

この一年で使った置き薬の代金を受け取り、なくなった薬を補充してゆくおじさんだ。

子供達には、紙風船をくれるというのが定番でもあった。

広貫堂資料館

明治初期から続く老舗の製薬会社・広貫堂の資料館。

江戸中期から300年以上の歴史を持つ「富山の売薬」の資料が展示、紹介されている。

使った分だけの代金を支払うという「先用後利の商法」によって、富山の薬は全国津々浦々まで広くいきわたった。

売薬さんを通じて、全国から新しい情報が集められ、利益は資本力として蓄えられていった。

その結果、「電力、金融などの近代産業の創設など郷土の発展に大きく貢献した」と記されている。

北陸電力、北陸銀行の本社は、金沢でなく富山市にあるのは、そんな歴史が背景にあるのだろう。

使った分だけ支払う

富山はこうした蓄積をもとに、現在も和漢薬の研究、製造が盛んであるほか、ジェネリック医薬品では国内トップメーカーがあるなど「薬の富山」の伝統は、今も根強く生きている。

しかし、その一方で「売薬さん」は、今ではすっかり姿を消してしまったのだろうと思っていたのだが、そうではなかった。

平成9年で3000人近く

このデータは少し古くなるが、

富山県内の「売薬さん」は、平成9年現在で2800人余りにも上っている。

もう少し新しいデータがないかと調べてみると、富山商工会議所の平成18年のデータを見つけた。

それによると、配置薬の販売従事者数は、1707人。9年間に1000人余り減少したが、まだ2000人近くの人が従事している。

戦後、道路網が整備され、自家用車が普及しても、いざというときに薬を簡単に入手できない人たちが、まだまだこの日本で数多くいるということなのだろう。

富山商工会議所の資料には、県内の配置用医薬品製造額は231億円とあるから、売薬さんの歴史は終わったわけではない。

ただ、販売従事者の平均年齢は60代と高齢化が進み、後継者不足が課題と記されている。

モンゴルでも

そしていま、家庭配置薬はモンゴルにも広がっている。

モンゴルの遊牧民は、市街地から遠く離れたところで生活している。その数は1万世帯。

モンゴルでこの事業に従事するモンゴル人医師への研修に、富山の関係者が協力しているのだという。

WHOの国際会議でも、配置薬のシステムは、医療を十分に受けられない途上国の人たちの健康を守るモデルとして注目されたとのことだ。

確かに、アジア、アフリカなどでは、医療環境が十分ではく、富山の配置薬システムがおおいに役立つ国も多そうだ。

もちろん置き薬の中身は変わるだろうが、グローバル化が進み病気の拡大が国境を簡単に超える今日、

世界の医療に貢献してくれそうに思える。

まだまだ世界で活躍の余地がありそうだ。

「江東0メートル地帯」の今

西大島駅

気候温暖化の影響なのか、気象災害が年々大型化してきているようで心配だ。

今月10日には、茨城・栃木・宮城の各県に特別大雨警報が出され、堤防が決壊するなど大きな被害を出した。

私が現在住んでいる江東区は、かつて「江東ゼロメートル地帯」とよばれていたところだから、水害の被害は他人ごとではない。

近くの地下鉄・新宿線の西大島駅の入り口には、「海抜 約-0.8m」との表示がある。

海抜とは、明治時代、東京湾で行った潮位観測による「東京湾平均海面」が、海抜の基準とのことだ。

簡単に言えば、東京湾の平均海面より、低い場所ということになる。

0メートル地帯

地図で見ると、荒川と隅田川に挟まれた三角形の地域の、下部にあたるところが「江東0メートル地帯」になる。

現在、この地域を流れる運河・河川が隅田川や荒川と合流する場所には水門が設けられ、水の出入りをコントロールしている。

その結果、ゼロメートル地帯を流れる川の水位は、荒川や隅田川より、かなり低くなっている。

小名木川の護岸

江戸時代、徳川家康の命で作られた運河の小名木川。

水位が低くなったことで、かつての護岸の最上部は取り除かれ、運河の両岸には遊歩道が整備されている。

この階段を上がった所に、かつての護岸の一部が残されている。

昔の護岸はこんなに高かった

昔は、こうした高い護岸によって水害から守られてきたことがわかる。

それでは、小名木川の水位は、荒川の水位とどれだけ違うのだろうか。

荒川ロックゲート

小名木川・旧中川と荒川との合流点には、荒川ロックゲートと呼ばれる閘門(こうもん)がある。

閘門とは水位の異なる2つの河川をつなぐための施設で、小名木川・旧中川と荒川の水位差は最大で3.1mもあるという。

これが実物

これが荒川ロックゲートの閘門。

プールのようになった所の側面に、水位が表示されていた。

水位の表示

一番下のところに、江東内部河川の平均的な水位と書いてある。

この日の水位は、東京湾の平均海面より2メートル近くも低かった。

水位が低いということは、大雨に対しても、雨量を受け止める余裕があるということなのだろう。

勿論、この地域内に大雨が降れば、ポンプによって荒川へと絶えず放出しなければならない。

雨水を排出するポンプ場の整備も必要

現在、荒川ロックゲートのすぐ隣に、「小松川第二ポンプ所」が建設されている。

雨水を集めて流す能力が高い下水幹線と同時に工事がすすめられているのだが、ポンプ所の完成はまだ先のようだ。

建設現場に掲示してある「建築計画のお知らせ」には

着工     2004年5月1日   
完了予定  2020年3月31日  と書かれているから16年にも亘る大工事、東京オリンピックの年まで待たなければならない。

今回の洪水を考えると「一刻も早く完成させてほしい」というのが、正直なところだ。

スーパー堤防

もう一つ、水害を防止するうえで大切なのは、堤防の強化だ。

堤防の決壊は本当に恐ろしい。

ここは、荒川が東京湾に注ぎ込む直前の右岸の堤防。

画面左奥が荒川の上流になる。

ここを走っていたら、この辺りは”「スーパー堤防」の仕様で作られている」と書いた案内板が立っていた。

スーパー堤防の案内

スーパー堤防とは、堤防の幅が、高さの30倍ある堤防だという。

「予想を超える大きな越水があっても、水が緩やかに流れ、被害が最小限になる」

「長時間の洪水で堤防に水が浸み込んでも壊れることがない」と書いてある。

確かにスーパー堤防なら、今回関東・東北で起きたような河川の決壊は起きないかもしれない。

しかし、荒川沿いに築造された長い堤防のすべてがスーパー堤防ではない。

何度も言うが、近ごろは、昔と比べて雨の降り方が尋常ではないとの思いが強い。

予想を超える大雨はこれからも降るのだろう。

水害が起きないように、「細心、そして早急な取り組み」を 心から願うばかりだ。

 近畿大卒業のマグロ

去年の初セリの写真

2014年1月5日、築地の寿司屋さんの店内でこんな写真を見かけた。

去年2013年の築地の初セリで、クロマグロ(本マグロ)を1本1億5千万円余りの値段で競り落とした時の写真だ。

去年はこのマグロを2つのすしチェーンで競り合ったため、1匹当たりの史上最高値を記録。

異常な高値として批判的な報道もあったことを記憶している。

そして1年後の今年1月5日、またしてもこの寿司チェーン店が、クロマグロの初セリで最高値で競り落とした。

同じ青森県大間産で、重さもほぼ同じだったのだが、今年の価格は736万円と去年の20分の1以下だった。

この寿司チェーンの経営者は「縁起物であっても、この程度が本来の値段だ」と語ったと記事にあるが、

庶民感覚からすれば、この値段でも、まだ驚くほどだ。

100グラム当たり3200円もする。

築地の場外市場で

クロマグロの消費量は、日本が世界全体の7割以上を占めている。

昨年は資源量の減少から国際会議で、3歳以下の未成魚の漁獲量を削減することが決まり、資源の先行きに不安を感じるニュースがあったが、その中で期待されるのが「近大マグロ」と呼ばれる養殖マグロだ。

この写真は今年1月3日に、築地の場外市場で撮影した。

「近大マグロ」とは、近畿大学が世界で初めて、完全養殖に成功したクロマグロのこと。

完全養殖とは、人工ふ化から育てた親魚から生まれたマグロのことで、近畿大学では30年余り前の1970年から研究を始め、2002年に30年余りをかけて成功している。

つまり、鰻のように稚魚のシラスを捕獲して大きく育てるという「蓄養」とは大きく違う。

これによって、乱獲による資源の減少や燃料問題など、クロマグロ漁の抱える課題解決に大きな役割を果たすことが期待されている。

この写真を見ると「近大生まれ 本まぐろ 宇和島産 媛(ひめ)まぐろ」と書かれている。

調べてみると、媛まぐろとは、近大マグロの稚魚を購入し育てたクロマグロの商品名。

近畿大学の関係者は、近畿大学の施設で育成したマグロを「近大生」と呼んでいるから、こちらは「近大からの転校生」という感じになる。

銀座に進出

先月、「近大マグロ」を提供するレストランが銀座に進出したというので、ランニングで店の前まで行ってみた。

店は、有楽町駅に近い、高速道路の下にあった。
走って行くので、いつものように店内に入ることはない。

店名は

店名が面白い。

「近畿大学 水産研究所」とある。

この店の並びには、いつも行列のできる人気のすし店もあるが、どうやらここもたくさんのお客で賑わっているようだ。

店の前の張り紙

店の前の電柱に、こんな張り紙があった。

やはり、ここにも行列ができているようだ。

魚も近大生

昼のランチのメニューを調べると、

近大マグロと、近大の水産施設で養殖しているカンパチ、シマアジなどを盛り合わせた「お刺身御膳」の値段が2400円とのこと。

銀座付近で働く一流企業のサラリーマンでも、気軽に入れるという値段ではなさそうだ。

私の場合も、一念発起して気合を入れないと、なかなか足が向きそうにもないが、

近大ではマグロのDNA解析を進め、生存力の強いもの、赤みが多いもの、トロが多いものなど選抜育種に力を入れているという。

研究に少しでも協力する意味からも、いつか機会を見て訪ねてみようか。



「旗日」という言葉を思い出した


大手町で

秋葉原の電気街で買い物をしようと走り始めた。

大手町まで来ると、ビルから大きな日の丸の旗が下がっているのが見えた。

「そうだ、今日は旗日だった」と、突然「旗日」という言葉を思い出した。

『旗日とは、国旗を掲げて祝うことから国民の祝日のこと』と、コトバンク「デジタル大辞泉」に説明がある。

両親、家族がよく使っていたし、近所の普通のお宅でも国旗を掲揚する家があったから、言葉のイメージは記憶の中に生きている。

しかし、若い人にとっては殆んど「死語」になっているようだ。

家に帰ってネットで調べてみると「旗日」という言葉を知らない人が数多かった。

老舗街

ここは、神田須田町の老舗街。

古くから暖簾を出す老舗が、軒を並べている。

写真右手に見える高層ビルは、交通博物館の跡地にJRが建てたもの。

現在内装の工事中で、間もなく完成の時期を迎える。

この一角も、こうして少しずつ町の雰囲気が変わってゆく。

ぼたん

老舗街を少し歩いてみよう。

右の通りを入ってゆくと見えてくるのが、鳥すき焼きの「ぼたん」。

ガスを使わず備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を売り物にしている。

この店の先代のご主人・桜井欽一氏は独学で鉱物学を学び、その世界では非常に著名な人物だった。

その鉱物コレクションは上野にある国立科学博物館に寄贈され、鉱物標本室で展示されていることは、以前もご紹介した。(http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20120306.html)

いせ源

あんこう鍋の「いせ源」。「ぼたん」の少し先にある。

入り口横のウインドウを見ると

アンコウ

大きな「あんこう」がお客さんを待っていた。

藪蕎麦

「ぼたん」の前の路地を入ると正面に見えるのが「やぶそば」。

注文の品を、独特のことば・調子で板場に伝える帳場の様子が面白い。

今年も、梅は全体的に開花が遅れているようだが、こちらでは開花し始めていた。

強い風に、日の丸が音を立てて、はためいていた。

ここにはまだ「旗日」が残っているのだろう。

この風景は、子供のころ見た風景によく似ている。

懐かしい街並みが、かろうじてこの一角だけに残っていた。






プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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