「2年前の現場写真」~問題の豊洲市場

レインボーから見た豊洲市場①

膝の具合が相変わらず万全ではなく、さらに雑用に追われて、全くと言っていいほど走る暇がない。

ブログも1か月更新しないと、先頭ページにCMが入ってしまう。

さて、どうやってブログ更新しようかと考えていたら、「豊洲移転問題」が大きな問題となり、連日テレビ・ラジオで大きく報道されている。

この日の来ることを予想していたわけではないが、お台場・豊洲は私のジョギングコースだったことから、建設中の現場の写真をたくさん撮っていることを思い出した。

今回は、そんな写真の中から、一部この問題にかかわる興味深い写真を見ていただこうと思う。

これは、ランニングでお台場に向かう途中、レインボーブリッジから、建設中の豊洲市場を撮ったもの。
撮影日時は2014年3月10日。

写真左側には東京港の竹芝桟橋などがあり、レインボーブリッジから見ると豊洲市場は、東京港の中に新しく造成されようとする新開地のようだ。

アップで見る豊洲市場

これは、同じ写真から、現場をトリミングしたもの。

問題の土壌改良のための工事が始まって間もなくの写真だ。

配置図

これは豊洲市場の建物の配置図。

この日、地図の左側に見える道路から、ゆりかもめの「市場前駅」の方向に走った。

次の写真は、地図で「水産物仲卸場棟」と書いてあるあたりを撮影したもの。

水産仲卸場予定地

鉄板で区切られた中を、かなり深く掘り込んでいるのがわかる。

画面上部には、東京タワー、そしてその右側に晴海にフェリーターミナルの建物が見える。

あの付近は、2020東京オリンピックの選手村が予定されているところだ。

工事の写真をもう一枚見てみよう。

地下空間を作っている?

鉄板で区切られた中は、かなり深い。

深さ 4~5メートルはありそうだった。

ニュースで見た地下空間は、こうして作ったのかなと思わせる。

もしそうだとすると、ここは盛り土をせずにコンクリートで固めたところになる。

今のところの焦点は、盛り土をしなかったことの影響はどうなのか、それに対する対応はどうあるべきなのかという点にある。

「食の安全」という命にかかわる問題だけに、早急に対応策をまとめ、処置しなければならない。

そしてもう一つ、同時に進めなくてはならないことがある。環状2号線への対策だ。

環状2号線延伸図

これは環状2号線の地図。

虎ノ門ヒルズから新橋駅の南を通り築地から有明へと通じる道で、東京オリンピックの際には、並行して走る晴海通りと共に中心的な役割が期待されている。

問題は、この道のために新たに架橋された「築地大橋」周辺の工事がどうなるかという点にある。

豊洲大橋

この写真は、「水産仲卸場棟」建設予定地から豊洲大橋を撮影したもの。

豊洲大橋は、建物配置図でもわかるように豊洲市場に入る直前の橋で、すでに完成している。

築地大橋

そして、こちらは築地大橋。

隅田川の一番下流に位置する橋で、この写真は隣の勝鬨橋の下から撮ったもの。

すでに橋の塗装工事なども終わっている。

ところがこの橋を渡るには、築地市場を通らなければならない。

新橋から築地市場の地下へ

この写真は、新橋から浜離宮の前を通って築地市場に向かう道路で撮ったたもの。

2014年3月11日の撮影だ。

前方に築地市場の青果門が見える。

道なりに行くと、この先、左手に朝日新聞本社屋、築地がんセンターの建物などが並んでいる。

実はこの写真は、この道路の下で行われていたトンネル工事を記録したもので、写真右手の築地市場の下を掘り進んでいるとの看板が出ていた。

築地大橋は、その先にかかっているのだ。

もう一度前の写真を見ていただきたい。

築地大橋を渡るには、築地市場下のトンネルを通り、橋の前で地上に出るための道路工事が必要になる。

その工事は築地市場の中で行わなくてはならない。

つまり、築地市場の移転が進まなければ、その工事も進まない。

問題が紛糾して長引くと、環状2号線の工事にもかかわってくる。

果たしてこうした問題に、東京都と関係者はどんな知恵を持って対応するのか。

情報を正しく伝えてこなかった行政のツケは、大きい。

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目標はシャンゼリゼ~新虎通り

環状2号線一部開通

環状2号線の、虎ノ門~新橋間が開通した。

東京都都市整備局のホームページには、環状2号線について

「昭和21年に戦災復興院が新橋~赤坂~四ッ谷を経て神田佐久間町まで、延長約9.2キロ、幅100メートルの道路として決定。
道路幅は昭和25年(1950)には40メートルに縮小された」と書かれている。

そのうち、今回開通した虎ノ門~新橋間の延長は1.4キロ、

その部分の通りの名前は「新虎通り」と命名されている。

特許庁前

3月29日、開通の直前に、

「新虎通り」の虎ノ門側の起点から、新橋方面に向けて走ることにした。

ここが「新虎通り」の起点となる。

虎ノ門の特許庁の前から外堀通りと別れ、右方向の虎ノ門ヒルズに向かう。

右折してすぐ右手には、大物政治家が入院する病院として名高い「虎の門病院」がある。

トンネル入り口

道路に沿って暫く進み、52階建ての虎ノ門ヒルズの前までやってきた。

道路がビルの中に通じていて、入り口には「築地虎ノ門トンネル」と書かれている。

このトンネルから、本線道路は地下に入り、第一京浜と交差する手前で再び地上部へと出る。

開通は午後3時だったが、午後1時過ぎには、まだ準備作業が行われていた。

ヒルズは工事中

一方、虎ノ門ヒルズのオープンは6月の予定で、まだ工事中だった。

高さは247m、都内では六本木のミッドタウンに次いで2番目の高さになる。

記念写真

道路は、このあたりでは地下と地上の2層になっている。

開通直前の道路上では、工事関係者が虎ノ門ヒルズをバックに写真を撮影していた。

ビルが高すぎて、寝転ばないと虎ノ門ヒルズの建物が写りきらない。

トンネル出口

開通式典で舛添知事は、「新虎通り」について

「パリのシャンゼリゼ通りに匹敵する、国際色豊かな通りにしたい」と挨拶したという。

シャンゼリゼーは長さ約3キロ、幅70m、対して新虎通りは1.4キロ、幅40mだからスケールは及ばない。

それよりも何よりも、今から20年近く前、シャンゼリゼーをジョギングした時の印象から言えば、凱旋門へと続く歴史豊かで風格のある建物群と緑豊かな環境に匹敵する通りにするには、そう簡単なことではない。

100年の大計と哲学が必要だと思うが、はたして可能だろうか。


舛添知事はさらに、環状2号線について「オリンピック道路として、末永く親しまれることを願う」と述べている。

お台場など東京湾岸地区と結びつくことで、2020年東京オリンピックの基幹道路としての役割が期待される。

汐留地区で進む工事

第一京浜を越えて汐留地区に入ると、環状2号の延伸工事が行われていた。

今進められているのは、浜離宮の横、築地市場の地下を通るトンネル工事だ。

有明までの開通は、2016年度中の予定になっている。

石川島の桜

この日は、隅田川沿いの桜の様子を見に、更に足を伸ばすことにした。

対岸の島は、隅田川の中州を埋め立てて作られた島・石川島。

鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、罪人の更生・授産施設である「人足寄場」を作った島でもある。

この日(3月29日)石川島の桜並木は、まだ2分程度の開花だった。

しかし翌30日には、東京都心で桜が満開になったと昼のニュースで伝えていた。

温かい天気が続いて、開花が進んだようだ。

開花から、あっという間に春爛漫を迎えようとしている。

英国大使館の土地問題

英国大使館

東京・千代田区一番町1にある英国大使館。

敷地の広さは、1万坪を越えるが、今、この都心の一等地を巡って日・英両国の間で協議が行われていると、近ごろニュースで報じられた。

皇居・半蔵濠の前

大使館は、内堀通りに面し、前方は皇居・半蔵濠。

皇居一周5キロのランニングコースは、今や全国のランナーに広く知られるが、内堀道路を隔てた向かいがそのコースとなっている。

365日、ランナーの姿が途絶えることはない。

この道路の両側には桜の老木が並木を作り、桜の名所となっている。

桜の名所

桜の季節には、近くの千鳥ヶ淵と合わせて、見事な日本の春の景色を見せてくれる。

写真の左手の塀は、英国大使館。

桜の植樹の案内板

この桜並木の下に、こんな案内板が立てられていた。

千代田区教育委員会によると、

”明治31年(1898)、時の英国公使アーネスト・サトウ(明治28~33年在任)がこの地に桜を植え、東京府に寄贈。

見事な桜並木となって多くの人に親しまれたが、戦災で枯れたため戦後再び植樹された。

以降新たな桜並木の名所として生まれ変わり、人々に愛され続けている”と紹介されている。

アーネスト・サトウ

アーネスト・サトウ(1843~1929)の父親は、スウェーデン国籍から何回か国籍と住所を変え、ロンドンに定住したという人で、日本の佐藤姓と関係はない。

18歳の時、日本について書かれた本を読んで日本に関心を持ち、イギリス外務省の通訳生の応募に応じて合格、希望通り日本駐在を命じられる。

1862年(文久2)、19歳の時に横浜港に到着したが、それから6日後に生麦事件が起きるなど、時代は幕末の動乱期の真っただ中だった。

以来、幕府や明治新政府の要人との会談の際の通訳官から始まって、のち書記官となり、

更に、シャム、ウルグアイ、モロッコで公使を務めた後、日本公使も務めた。

日本公使として来日した時は52歳、5年後の57歳で日本を離れたが、通算の日本滞在期間は、合わせて25年にもなる。

その間、明治天皇、徳川慶喜、西郷隆盛、勝海舟、岩倉具視など幕末から明治維新にかけての大立者の殆んどと間近に接し、日本に関する著作も数多い。

英国公使館は、はじめ高輪の東禅寺内に設けられたが攘夷派によって2度に亘って襲撃され、その後、品川の御殿山に建設されていた建物も高杉晋作らによって炎上させられるなどの難を受けてきた。

この場所に移ってきたのは明治5年、アーネスト・サトウがまだ書記官の頃だった。

現在、この地で、どんな土地問題が起きているのか、財務省のホームページに記述があったのでご紹介する。

地図

この地図は、英国大使館とその周辺を描いたもの。

英国大使館がある場所は、江戸時代は七戸、七日市藩など3藩の上屋敷、それに旗本・水野兵部の屋敷があったところで、面積は35002.57㎡。

1万1千坪を超える広大な土地だ。

この土地を
日本は英国にほぼ永久に貸与し、英国は賃貸料を払うということで、今日まで経過してきた。

ところが、英国にとっては年間8129万円(平成25年度)にも上る賃料支払いが重荷になったため、

英国からの申し出を受けて交渉が始まったというわけだ。

日本の財務省のホームページには、こう書いてある

”英国大使館敷地の底地所有権と借地権の交換に向けた協議を進めることで合意しました

日本国が英国政府に貸し付けている駐日英国大使館敷地について、今般、英国政府との間で、日本国の有する底地所有権と英国の有する借地権の借地権割合に基づいた等価による交換処理に向けて、協議を進めることについて合意しました。

(注)今後、不動産鑑定士による借地権割合の鑑定評価を実施し、協議が調えば、平成26年度以降、交換契約を締結する予定です。
      本交換処理により、大使館敷地の一部が日本国に返還されることとなります ”

内堀通り

新聞記事によると、

英国は約2割の土地の借地権を日本側に渡し、

日本は残り約8割の底地権を英国側に渡す、という内容の「等価交換」になる見込みのようだ。

この結果、日本は賃料収入を失う代わりに、路線価で140億円相当の自由にできる土地を手に入れることになる。

今後、大使館敷地のどの部分が日本側に戻り、どんな利用がされるのか、

貴重な財産だけに、関心をもって見ていくことも必要だろう。


尚、明治維新当時、倒幕勢力の薩長と深いつながりがあった英国は、公使館の土地のあっせんや条件等で明治政府とどんなやり取りをしていたのだろう、

そんなふうに思って、アーネスト・サトウの著作「外交官の見た明治維新」を開いてみたが、そのことに関する記述は見つけられなかった。

日本語の堪能なアーネスト・サトウは、日本との交渉の殆んどすべてに関わっただろうから、いろいろな裏事情も知っていたはずだから残念な思いだった。

今でこそ、金銭換算をすると莫大な金額になる行為だが、当時はそれほど重要な案件ではなかったのだろう。


余談になるが、アーネスト・サトウのことを調べていて興味深い記述を見つけた。

ウィキペディアによれば、

彼は、戸籍上は生涯独身だったが、日本女性を内妻とし3人の子供をもうけている。

そのうち、二男の武田久吉(ひさよし1883~1972)については、ロンドンに呼び寄せて植物学者としての教育を受けさせている。

武田久吉は日本に戻ってから、尾瀬の保護に努めて「尾瀬の父」とよばれたほか、1905年(明治38)には日本山岳会創立メンバーの1人にもなり、植物学者、登山家として大きな足跡を残している。

そんな親子2代に亘る足跡を見ていると

アーネスト・サトウと日本との間には、「サトウ」という名前だけではない、特別に深い縁があったのだなと思えてくる。

金環日食~雲が日食グラスになってくれた

日の出桟橋へ

5月21日の朝6時過ぎ、金環日食に備えて、芝浦の「日の出桟橋」に出かけた。

前日、ネットで調べたところ、港区のレインボーブリッジあたりを金環食帯の中心が通っているとのこと。
金環食を長く見られるし、前が海で邪魔する建物がないため、日の出桟橋で観察しようと訪れたのだった。

しかし、7時07分現在、空は厚い雲に覆われていて、太陽は見えなかった。

7時14分

これは7時14分に撮影した写真。

雲が、ちょうど日食グラスの代わりになる程度に薄くなり、進行している日食を肉眼でも見ることができた。

実は、前日夜、近くのコンビニに日食グラスを買いに行ったが、扱っていなかった。

そこで、プラスチック板を捜し、黒のマジックで四角く塗って、手製の日食グラスを作ってみた。

しかし、マジックは濃淡がまばらで、蛍光灯にすかして見たら変な模様が見えて、実用にはならないことが分かった。

そこで、黒のクリアファイルがあったので、合わせ技でトライしてみようと、勝算はないまま出かけてきたのだった。

こんな状態が続けば、「日食グラスがなくても、肉眼でも金環食が観察できるかもしれない」と思った。

7時16分

7時16分、再び、雲が厚くなって、太陽は見えなくなった。

7時20分サラリーマン

私のすぐ前に、出勤途中のサラリーマンが陣取り、日食グラスで観察し始めた。

古川河口、前は東京港

古川の河口には、たくさんの人たちが集まり、空を見つめている。
殆んどの人がカメラを手に、金環食の写真を撮ろうと待ち構えていた。

7時30分、あと1分で金環食

7時30分、雲が薄くなってきた。

金環食の開始は、港区役所付近で 7時31分57秒。
あと1分あまりに近づいた。

金環食の最大は 7時34分29秒。

金環食の終了は 7時37分01秒 ということだった。

雲が薄くなりすぎた

これは、7時34分、金環食になっている時間に撮影した写真。

太陽をちょうどよく覆っていた雲が、薄くなりすぎた様だ。

明るすぎて、よく写っていない。

逆に言えば、日食グラスを持っている人たちにとっては、絶好のコンディションになったということだ。

自分で作った日食グラスは、結局役に立たず、この間は、雲が先程のように太陽をちょうどよく遮ってくれるのを待つだけだった。

しかし、この状態はしばらく続いた。
次に撮れたのはこの写真になる。

7時40分撮影

撮影できたのは7時40分。
金環食が終わり、太陽が再び薄い三日月のようになってからだった。

つまり、金環日食の時間は雲がとれ、日食グラスを持つ人には絶好の自然条件となっていたということだ。

かくして私は、あと一歩のところで、金環日食の写真を撮ることはできなかった。

この写真を撮ってからしばらくして、私の前の場所に陣取っていたサラリーマンがこの場所から立ち去って行った。

そして私に向かってこう言った。
「一番いいところが見られましたね」と。

私はこう答えるしかなかった。
「そうでしたね」と。

山手線の新駅はどこだ


田町駅前

先ごろ、JR東日本が、山手線の品川-田町間に新駅を作ることを検討しているとの報道があった。

品川と田町の間は2.2キロで山手線では最も長く、新駅の計画は、10年ほど前から検討されてきたという。

それが、ここにきてようやく動き出そうとしている。新駅ができそうな場所へ行ってきた。

スタートはJR田町駅。
品川に向かって走り出す。

品川-田町の中間点はおよそ1.1キロの地点だ。

高輪大木戸

走り出してちょうど1キロのポイントは、以前も紹介した国の史跡の「高輪大木戸跡」。
右手を走る第一京浜国道は、旧東海道。

江戸時代はここまでが江戸府内。

江戸の治安維持のため設けられ、伊能忠敬はここを全国測量の起点にしたという。

泉岳寺前

そこから100mほど進むと、泉岳寺前のT字路交差点。
この赤信号の奥はJRの線路だ。

ここが、ほぼ中間点になる。
近くに、都営地下鉄の「泉岳寺」駅もある。

広重 高輪の夕景

広重の描いた「高輪の夕景」。

JRの線路のあるところは、昔は海だった。

今の地図

今は、こんなにたくさんの線路が敷かれ、さらに埋め立ては東(画面の左側)に及んでいる。

今回の新駅計画は、この付近にあるおよそ20ヘクタールの「品川車両基地」のうち、10-15ヘクタールの土地が不要になるために具体化に向けて動き出した。

線路を移す

それは、宇都宮、高崎、常磐の3路線と東海道線を直通でつなぐ「東北縦貫線」が、2013年度末の開通を予定しているためで、その結果、車両基地スペースは少なくて済むようになる。

新聞によると、現在、第一京浜に近いところを走る京浜東北と山手線の線路を海側に写し、駅などの用地を確保する計画のようだ。

少し気が早いようだが、気になるのは新駅の名前。
だが、これが難しい。

誰もが考えるのは「泉岳寺」と「高輪」だが、すでに地下鉄で「泉岳寺」「高輪台」という駅名が使われている。

歴史的に由緒のある地名だと「芝浦」があるが、田町駅の芝浦口(東口)のイメージが強い感じだ。

そこで、一つ提案したい。

「大木戸」もしくは「高輪大木戸」というのはどうだろう。

港区には「大門」「御成門」という駅もあることだし、新駅付近の歴史を語る上でも「大木戸」は欠かせない遺構だ。

新駅ができるのは早くて2020年ごろの見込みだという。

新住居表示のような味気のない命名はしないように、今から、くれぐれもお願いしたい。
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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