「三越のライオン」がいる神社

三囲神社

墨田区向島にある三囲神社。「みめぐり」と読む。

江戸時代、三井家が江戸に進出時、この神社を江戸の守護神にしたと云う神社だ。

「三井」の井の字が、囲いで守られていることに由来するという。

鬼平情景

神社のある場所は隅田川の左岸、「みめぐりの土手」として江戸っ子には知られた場所だったことは、以前ご紹介した。

鬼平犯科帳にも数回登場すると、神社前の案内にも書かれている。

神社の鳥居が、隅田川の土手近くにあり、対岸からは鳥居の上部だけが見えることで有名だったそうだ。

場所

地図で見てみよう。

隅田川の左岸、桜橋と言問橋の中ほど。

見番通り沿いにあり、花街も近い。

地図の左の方には「隅田公園少年野球場」が見える。
王貞治少年が野球の練習に励んだ場所であったと、球場の入り口に書かれていたことを思い出す。

野口雨情の歌碑や幸田露伴の旧居跡も近くにあり、江戸情緒を色濃く残すところでもある。

三井系企業

境内に入ると、三井系企業の名を記した石盤が立っていて、その中に「三越」の字も見える。

「三越」とは三井の越後屋ということ。

江戸の人気店・三越呉服店が、現在の三越デパートの前身ということはよく知られている。

狛犬の後ろに

本殿の前、狛犬の後方にライオン像が横たわっている。

この像は、三越・池袋店の前にあったもので、2009年5月の閉店後、この場所に移設されたのだそうだ。

三越・池袋店のライオン像


そもそも神社の狛犬とは何なのか、ウィキペディアにはこう書いてある。

「古代インドで、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたのが狛犬の起源とされる」

従って、神社の境内にライオン像があるのは場違いではなく、むしろふさわしいのかもしれない。

朱楽菅公辞世

三囲神社は由緒ある神社だけに、境内を歩いていると、あちこちで興味深い碑と出会った。

これは江戸時代の狂歌作者として知られる「朱楽菅公」の辞世を刻んだ石碑。

朱楽菅公(あけらかんこう 1740-1799)は江戸・天明の狂歌ブームを築いた一人で、幕臣(与力)だった人。

勿論、号の由来は「あっけらかん 何事もあまり気にせず、さらっと受けながそう」という生き方を表現したのだろう。

妻も狂歌師で、号は「節松嫁々(ふしまつのかか)」というのだから、粋だ。

辞世の句アップ

辞世の句は

「執着の心や 娑婆に残るらむ よしのの桜 さらしなの月」

”そんなふうにあっけらかんと生きてきた私だが、死んだあと 娑婆を未練だと思う気持ちは残るのだろうな

 吉野の桜、更科の月を思えば”

小松川千本桜

いよいよ、今年も桜の季節がやってきた。

この週末、上野公園には、花見客が大勢訪れているという。

ここ荒川放水路沿いの「小松川千本桜」では、ソメイヨシノの開花まであとわずか、見頃は4月初めころになりそうだ。

生きているうちに、桜の花を愛で、春爛漫を堪能したいものだ。
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山田浅右衛門の墓

小塚原の回向院墓所

江戸時代、小塚原の刑場があった南千住の回向院の墓所。

この地で処刑された鼠小僧次郎吉などの墓が並んでいる。

前列右から2つ目は高橋お伝の墓。

現在では、死刑は絞首刑だが、江戸時代から明治初めまでは斬首刑であった。

高橋お伝は「毒婦 高橋お伝」といったタイトルで映画にもなった女性で、明治12年1月に日本刑罰史上最後の斬首刑に処せられた人物。

ウィキペディアなどによれば、金を借りる約束で関係を持った男が約束を守らない、

そこで、その男を殺めてしまったというわけだ。

写真を見ると「毒婦」という言葉が全く似合わない、楚々とした容貌をしている。

その高橋お伝の刑を執行したのが、9世山田浅右衛門吉亮であった。

つまり、「首切り浅右衛門」である。

四谷・勝興寺

暫く前、新宿区四谷の勝興寺に、山田浅右衛門の墓を訪ねたことがある。

本堂の近くに、山田浅右衛門の墓はあった。

6世吉昌等

墓石の4面に文字が刻まれていて、正面左側には、7世吉年(吉利と記す碑もある)という名前が読めた。

亡くなったのは明治17年と書かれてある。

私が訪れた時、幕末の歴史に関心を持つ先客がいて、浅右衛門についていろいろ教えてもらった。

いわく、浅右衛門の名前について、「浅」ではなく「朝」右衛門と名乗るものもいたこと、

そして処刑者の遺体を引き取って試し斬りに使用したり、遺体から薬を処方して相当の収入があった等々。

6代吉昌

こちらには6世吉昌の名前が刻まれている。
こちらは「右衛門」となっている。

ウィキペディアを調べると、墓の前で歴史好きのおじさんに教えてもらったとおりのことが記されていた。

それによれば、山田浅右衛門という名前は、刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の当主が代々名乗った名前。

幕府から決まった知行を受け取ることはなく、身分はいわば浪人の身であったという。

しかし、試し斬りや刀剣の鑑定、丸薬の製造など様々な収入があり、3~4万石の大名に匹敵するほど裕福であったということだ。

そしてもう一つ特徴的なのは、

実子に跡を継がせることなく、養子を迎えてその技が伝えられていったということだ。

それは、この仕事に技術が必要であること、そして首を切る仕事への嫌悪があったことも、その理由の一つに挙げられている。

祥雲寺

池袋駅西口から、そう遠くないところにある祥雲寺。
この寺の境内に「朝右衛門之碑」があると知り、池袋まで走った。

(話はそれるが、池袋駅の改札口は西武デパートのある方が「東口」で、東部デパートのある方が西口というのが面白い)

碑が建っていた

これが、その石碑。

本堂の横にあり、昭和13年に7代吉利の孫娘の援助で建立されたという。

碑は昭和13年に建てられたものだが、碑文には「箕裘」など初めて見る漢字も多く、漢和辞典を手元に調べることになった。

ちなみに「箕裘」という熟語、読みは「キキュウ」で、その意味は「祖先伝来の業」。

漢字検定を目指す人は知っているかもしれないが、私にとっては生まれて初めて見る言葉で、何回も辞書を引いて読んでいった。

碑文には、おおむね次のようなことが記されていた。

”始祖の貞武は、才気・学識に優れ、武を好み( 試し斬りの名手であった)山野氏に従って刀術を修めた。

江戸・平河に住み、朝右衛門と名乗り、子孫もこれを家号とした。

二世吉時は徳川家の御腰物御様(おためし)御用を勤め、そのかたわら首打同心の代役も兼ね、後世 職となった。

五世吉睦は山田流据物刀法を大成し、また刀剣鑑定家として名声を得た。

六・七・八世は、みな祖先伝来の業を受け継ぎ、家名を落とすことはなかった。

明治維新となり、跡を継ぐ者も絶え、墳墓も壊滅に帰そうとしている。

よって、その事蹟を石に刻み、祥雲寺の境内に建てるものである”

現代から見れば、まことに特異な家業の歴史が碑に刻まれていた。

「首切り朝」


山田朝右衛門といえば、昭和47年から4年間週刊誌に連載された、「首切り朝」という劇画を思い出す方も多いことだろう。

 原作が小池一夫 、絵が小島剛夕 というコンビの作品で、ストーリー・絵ともに読みごたえのあるものだった。

この作品は、その後アメリカで英語版が出版され高い評価を受けているということだ。


ところで、この祥雲寺には、漫画家の石ノ森章太郎の墓があるという。

この日、墓地で探してみたが、見つけることはできなかった。

石ノ森章太郎といえば「仮面ライダー」が有名だが、「佐武と市捕物控」など、江戸時代を舞台に市井の暮らしを描いた作品もある。

石ノ森章太郎が、山田浅右衛門家の特異な歴史と人生を描いたら、どんな作品ができただろう。

勝鬨橋~永代橋コース

鳩のラブシーン

7月に入り、日中走るには少々厳しい暑さとなってきた。

この日は、隅田川の下流・勝鬨橋から永代橋にかけてのいつものコースを走る。

築地場外市場を通り、勝鬨橋の上に差し掛かるとこんな光景に出会った。

「鳩のラブシーン」…だろうと思う。

橋の上を多くの人たちが通行していたが、その人影にひるむことなく、しばらくこんな形で寄り添っていた。

立ち止まってカメラに収めたが、こちらの方がなんとなく照れくさい思いだった。

ホタルナ

橋を渡り、隅田川右岸の散歩コースを走る。

すると左手の河口方向から、遊覧船「ホタルナ」が隅田川を遡っていった。

銀河鉄道999の作者で漫画家の松本零士がデザインしたもので、その近未来的なフォルムがとても人気がある。

この船は、船の屋根の部分に出ることもできるのだが、この日は屋上デッキに観光客の姿はみえなかった。

ヒミコ

隅田川左岸を走り、石川島まで来ると、

ホタルナの兄貴分である「ヒミコ」と出会った。

ヒミコも松本零士のデザインで、ホタルナに先立つこと8年、隅田川の観光船としてデビューしている。

世界にアピールする日本のコミック文化と隅田川とがコラボレーションした風景といえそうだ。

クチナシ

石川島の対岸、越中島まで来ると、白い綺麗な花が咲いているのが目に留まった。

「くちなしの花」だ。

渡哲也が歌った「くちなしの花」は、走りながら時折口ずさんでいるが、

クチナシの花をじっくり見たのは、実はこれが初めて。

花の形が実に綺麗で、びっくりした。

ただ、よく見ると小さな虫が、白い花弁のあちこちを動き回っていた。

写真を撮っていると、花の手入れをしているおじさんだろうか、近づいてきて、

「もう少し前は、とてもきれいだったが、今は盛りを過ぎてしまった。

ヒトも同じで、歳をとるとさびしいね」と私に話しかける。

私は「人は、年をとればそれなりに味わいが出ますよ」と答えたが、

おじさんの気持ちは、分かりすぎるほどよくわかった。

説明

「タクアンの着色は、クチナシの果実を用いた」という。

これも、初めて知ったことだった。

永代橋から石川島

永代橋を渡り、石川島に建つ高層ビル群を見る。

隅田川の中ほど、左岸に近い水中に3本の鉄柱が立っていた。

何か工事が始まるのかどうか、記録のために写真を撮っておいた。

朝顔

永代橋を渡って、今度は隅田川右岸を走る。

朝顔が鮮やかに咲いていた。

このあたりは、もう夏の装いだ。

永代橋の左方向に、スカイツリーがうっすらと見える。

どぜぅなべのポスター

隅田川右岸を走り、再び勝鬨橋の袂まで来ると、フグ料理屋さんにこんな案内が。

夏場は、どじょうをメインに商売を進めるようだ。

「どじょうぬき鍋」というのは、どじょうを背開きにしてゴボウと一緒に調理したもの。

「柳川鍋」は、それを卵とじにしたもの。

昔は、夏場の食べ物としてどじょうは庶民に人気があったということだが、今は鰻に及ばないようだ。

この店のポスターにはなかったが、浅草のどじょう料理店に行くと「どじょう鍋」というメニューがある。

以前、知らずに「どじょう鍋」を頼んだところ、どじょうを丸ごと煮込んだものが出てきて面食らったことがあった。

小骨があって食べにくいし、泥臭い感じもあって、完食とはいかなかった。

しかし、江戸の庶民の夏の暮らしを偲ぶことはできた。

隅田川沿いに今も江戸情緒を感じるのは、こんな「どじょう料理」のポスターを見かけることも、その理由の一つなのだろう。




「湾岸署」周辺まで

豊洲新市場の今

今回の走りの目的地は、台場の「湾岸署」の周辺。

以前は、かなりの頻度で走っていたコースだが、コースの途中に架かっていた橋が工事で渡れず、最近は殆んど足が向いていなかった。

行く途中、レインボーブリッジから豊洲の方を遠望すると、築地市場が移転する豊洲市場の工事現場が見えた。

すると、これまては見かけなかった建設機械が林立していた。

地盤に基礎を打ち込むためのものだろうか、いよいよ本格的な建設が始まるなと感じた。

面白い形の花と出会った

橋を渡ってお台場海浜公園沿いを西に進み、潮風公園の近くに来ると、ちょっと変わった形の花に出会った。

花に詳しい方ならご存知だと思うが、近づいてみるとこんな花をつけていた。

ブラシの木

「細長いグラス」の中を洗うブラシによく似ていませんか?

見た目も大きさもそっくりで、びっくりするほどだった。

家に帰って調べてみると、名前は「ブラシの木」とある。
英語では BOTTLE BRUSH と書いてあるから、まさに見た目と同じ。

「オーストラリア原産で、日本には明治中期に渡来。暖地に栽培される」と記されていた。

自然の造形は、なんと面白いものかと実感。

船の科学館

潮風公園を南下すると、「船の科学館」の建物が見えてくる。

だいぶ前から、内部の公開はしていないので、広い駐車場もがらんとしている。

ただ、初代南極観測船の「宗谷」の一般公開は、すぐ近くの岸壁で現在も行われている。

無料で公開されていて、内部もとても興味深いので、近くへ行った際にはぜひ見学することをお勧めしたい。

ところで、船の形をした「船の科学館」のヘサキの横にビルが見えるが、この建物が「湾岸署」の建物。

有名芸能人が覚せい剤使用で摘発され、この警察署の前から中継リポートされることが、過去にもあったし最近もあった。

湾岸署

正確な名称は「東京湾岸警察署」。ウィキペディアによれば

江東区青海にある警視庁の警察署の一つで、2008年3月31日に開所式が行われた。

前身は「東京水上警察署」で、

「湾岸警察署」という名称は、実はフジテレビの人気ドラマ「踊る大捜査線」の舞台となる架空の警察署の名前として先行して世に出ていた。

それなのにどうして「湾岸警察署」と命名されたのか?

それは、警視庁が警察署の名前についてアンケート調査を行った際、用意された名前の中で地元住民から圧倒的な支持を受けたのが「湾岸署」だったということだ。

おしゃれな感じもあって、確かに票を集めそうだ。

25席の警備艇を所有

湾岸署には、水上を担当する「水上安全課」があり、25隻の警備艇を保有しているという。

湾岸署の裏には船着き場があり、海上保安部や税関の船と並んで警察の船も停泊していた。

そして、この警察署にはもう一つ大きな特徴がある。逮捕者を留置する施設が充実していているのだという。

このことが、これまでにもニュースに度々登場した理由の一つのようだ。

船着き場の看板

船着き場の周辺は、いつも釣り人たちで賑わっている。

釣り人に向けて、だいぶ前からこんな注意看板が掲示されている。

「アオブダイ」という魚は、食中毒を起こすので食べないように、と呼びかけるものだ。

地球温暖化の影響なのか、南の海で暮らしていた魚が生息範囲を北に広げ、この付近にも姿を現す可能性があるとして、注意を呼びかけている。

確かに、「実際に釣り上げた時に、そうしたことを知らずに食べたら」と考えると恐ろしい。

釣り人にとっては、とても重要な情報であるに違いないと感じた。

ただ、湾岸署が今対応に追われているのは、食中毒ではなく薬物中毒事件。

湾岸署は、薬物の恐ろしさについても全国に向けて広く発信して欲しいと思いながら、帰路についたのだった。

「平成中村座」~隅田河畔


平成中村座


「平成中村座」の小屋が、隅田河畔・言問橋の近くに建てられ、歌舞伎の公演が行われている。

去年の11月から今年5月いっぱいまでの、計7か月の長期公演だ。

猿若町の近くに

小屋の作られた隅田公園山谷堀広場は、「旧猿若町」の近くにある。

天保12年(1841)、水野忠邦の天保の改革で、芝居小屋は風紀を乱すとの理由から、「中村座」「市村座」「森田座」のいわゆる「猿若三座」が「猿若町」に集められ、その碑がゆかりの地に残っている。

「中村座」を始めたのは、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)で、猿若町という町名は猿若勘三郎に因んでつけられたということだ。

従って、中村姓の歌舞伎役者にとって、このあたりは、ゆかりの場所ということになる。

平成中村座の付近は何回か走ったことがあり、中の様子がどんなものかとても興味があった。

今回、観劇する機会があり、楽しみにして出かけた。

桜が3分咲き

ところがその日は生憎の天候。

台風並みの強風が吹き荒れた日だった。

河畔の桜は3分咲きで、晴れていれば小屋までの歩きも心弾むものだったはずだ。

内部の様子

写真左側の席・舞台に近いところは、座椅子になっている。

その後ろは、普通の椅子席だ。

悪天候にもかかわらず、ほぼ満席の入りだった。

2階席

2階席。

目の前に花道があり、劇の後半、はしごを使った立ち回りが眼前で展開するなど、迫力ある舞台を堪能することができた。

幕の両端の舞台上にも座席が

面白いのは、この幕の両端の舞台上にも2階席があること。
舞台裏の動きも含めて観劇するできるのだが、そんな席があることはこれまで知らなかった。

人気の舞台にお客さんを多く入れるため、昔から行われてきたのだという。

大きな提灯

外国人のお客さんの姿もあった。

チラシ

公演は開始から終了まで4時間余り、休憩時間を除く正味は3時間余り。

台詞や所作を自分のものにして、しかも体調を万全に保たねばならない「役者」という仕事の大変さを、改めて感じた。

出演者

何しろ10年に1回程度の珍しい春の強風で、公演中も時折小屋が揺れたりすることがあり、演じる方としては条件は良くない。

しかし、役者の皆さん、特に若手の口跡は素晴らしく、まるでマイクを付けているのかと錯覚するほど台詞が客席に伝わってきた。

勘三郎さんの次の世代が、しっかりと成長してきていると感じた。

また、映画などでよく顔を見る菅野高史さんが出演しているのも面白かった。

歌舞伎を見たのは、まだ2回しかない。

わずかな経験だが、歌舞伎を実際見てみると、とても面白い。

長い歴史を持つ古典芸能だが、「どっこい歌舞伎は生きている」と思った。


終演時には風もおさまる

観劇後、言問橋の横を通ったときには、雨と風はだいぶおさまっていた。

役者として脂がのりきった香川照之さんが、歌舞伎の世界に入るとのことだ。

伝統の世界にどんな息吹を吹き込むことになるのか、注目したいし声援も送りたいと思った。







プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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