復活マラソンは「半走・半歩」ふたたび走れたうれしさ

現美新幹線

ひざの故障から2年ぶりに走るフルマラソン。
そのために選んだのは、制限時間が7時間と長い、新潟マラソン。

はじめての新潟駅に着いたとき、隣のホームで迎えてくれたのは「現美新幹線」だった。

先頭車両には GENBI SHINKANSENと書かれている。

カラフルな車体

6両編成で、各車両の色が違う。それぞれカラフルで、車内には今注目のアーチストが製作した現代アートが展示されているという。

内部をのぞき込んだら、このほかに写真作品が展示されている車両もあった。

日本の各地で、豪華列車で旅を楽しむのが人気だとニュースで見たが、
この列車も新たな旅のスタイルを提供しようというJRの提案なのだろう。

MAXから降りた乗客も、この珍しい新幹線を盛んにカメラに収めていた。

町にはマラソンの旗も

新潟の街中には、マラソンの開催を告げる幟があちこちに掲げられていた。

早速、市内の散策に出かけた。

信濃川のクルーズ 萬代橋

日本一の大河・信濃川を運行するクルーズ船に乗り、萬代橋の下を通過。

橋の東詰めを歩いたとき、あの「新潟ブルース」の歌碑が立っていた。

美川憲一やロスプリモスが歌ってヒットし、カラオケでも歌うことがある。

「思い出の夜は 霧が深かった…」と歌詞の一部を、船上で思わず口ずさんでいた。

展望スポットからコースを見る

信濃川の河口近くに立つ31階建ての展望スポットから、翌日のマラソンコースの一部を確認した。

新潟マラソンは、信濃川沿いに設けられた遊歩道や、海沿いのコースなどを走るのだが、写真に見える「新潟みなとトンネル」を走るのも売りの一つ。

信濃川の下を通る海底トンネルで、全長は1423メートルあるという。

ぽんしゅ館へ

街並みを探索した後訪ねたのは、新潟駅とつながるビルにある「ぽんしゅ館」。

日本酒王国の新潟らしい、人気の観光スポットだ。

新潟の全酒蔵(93蔵)の日本酒を、好きなだけ利き酒することができるというもの。

500円を払うと、おちょこと、コインの様なものを5個くれる。

飲んでみたい酒があれば、おちょこを置き、コインを入れるとその中にお酒が注がれるという仕掛け。

マラソン前日なので、おちょこ5杯で切り上げたが、そうでなけれはまだまだ飲んでいただろう。

中国人観光客も来ていた。

蔵による味わいの違いも分かり、楽しい体験だった。

高橋尚子さん  

いよいよ、マラソン当日。

スタート地点でランナーに声をかけるのは、オリンピック金メダリストの高橋尚子さん 、Qちゃん。

私たちを送り出した後、10キロコースを走ったようで、

私が5キロ付近を走行中に、沿道が騒がしいので振り向くとQちゃんの姿。

そこで1回目のハイタッチ。

あっという間に追いつかれ、走り去っていった。

この後、32キロ地点とゴール直前でもハイタッチをしてもらったので、Qちゃんにはたくさんの元気をもらった。

萬代橋を走る

このコースのハイライトの一つ「萬代橋」。

スタート地点のデンカビッグスワンスタジアムから約10キロほど走ったところだ。

橋を渡り、繁華街の古町あたりから折り返して、信濃川の河口に向かう。

新潟みなとトンネル

ここは、信濃川河口の下を走る「新潟みなとトンネル」。

外は晴れて気温が高いので、この往復3キロほどのコースは、涼しく走りやすかった。

20キロ地点で

ここは、日本海沿いの「新潟海岸道路」。

ちょうど中間地点あたりで、
この時はまだまだ元気な顔をしている。

海水浴場が続くきれいな浜が続く場所だが、あとで考えると、あの横田めぐみさんが拉致されたのは、「この付近のどこかだった」と気がついた。

お墓の仮装ランナー

今回のマラソンは、この後の20キロが「とてもとても」長かった。

給水地点で何回も冷水をかけてもらい、仮想ランナーのパフォーマンスに力をもらって、それこそ歯を食いしばった。

このランナーは、目立った。
声をかけて写真を撮らせてもらったが、何故この扮装なのかは聞き忘れた。

東日本大震災からの復興を誓うランナー

このランナーの背中から腰あたりには、「東日本大震災からの復興を必ず果たす」との誓いが、フェルトペンで書かれていた。
私は、その誓いを読みながら後を追った。

このほか、一本歯の高下駄をはいて走るランナーもいた。

ランニングシューズを履いていても、40キロ余走る間には、チマメができたり擦れたりして痛くなるのが普通なのに、「すごい」と思わず感じてしまう。

実は「東京マラソン」でも一本歯の高下駄ランナーを見たことがあり、写真も撮ったことがある。

今回は、すれ違ったので写真を撮ることはできなかったのだが、ほんと、世の中は広いと思う。

ゴール直前、Qちゃんと3回目のハイタッチ

暑さと、ひざの不安・軽い痛みで、ぼろほろになってゴール直前まで来ると、またQちゃんの姿。

「変なおじさん」の仮装をした人と何か話していた。

そして、3回目のハイタッチをした後、無事ゴール。

マラソンの後半はかなり歩いてしまったので、今回は完走というより完歩といった方がふさわしい。

でも、来年2月の東京マラソンに向けて、完走のめどがついた。

ただゴール後に写真を撮ったのだが、中間点に撮った写真と比べると、浦島太郎がおじいさんになったような変わりようだった。

ここでは公開できない疲れた顔で写っている。

浦島太郎があっという間におじいさんになるのは、「実話」だったのかなとも思った。

ともかく疲れた「2年ぶりのフルマラソン」だった。
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いよいよ、2年ぶりのフルマラソン

9月18日台風が通過した朝

膝の痛みから、フルマラソンを走れなくなって丸2年。

なんとしても、もう一度フルを走りたいと、ウォーキングからはじめて、少しずつ走る距離を伸ばしてきた。

でも、まだ20キロは走れていない。

9月18日、朝4時台に起床。

隅田川までの往復を走った帰り道、浜離宮の横を走っていると、その日の早朝通過した台風18号の強風に、銀杏の実がたくさん落ちていた。

翌日も同じコースを走り、まだ銀杏の実が落ちていたので、「早起きは三文の徳」と思いながら、わずかながら拾って帰った。

五輪施設の建設用地

2日後、お台場・有明地区の体操競技会場の建設予定地の横を通った。

着工は今年の11月とのことで、まだ工事は始まっていなかった。

お台場と都心を結ぶ環状2号線の進捗は、当初予定よりかなり遅れているので、多少気になった。

お台場海浜公園

10月4日、お台場海浜公園。

海岸の砂浜沿いを走っていると、こんな看板が立っていた。

今年も、この付近を会場にトライアスロンの大会が開かれるという案内だった。

東京五輪でも、この付近の海を会場に水泳とトライアスロンの競技が予定されている。

ところが、つい先日、この付近の海の水質について、環境面で問題があるとする調査結果が報告された。

競技団体の決めた基準値を、満たしていないというのだ。

数年前に、この地で行われた水質改善の取り組みについて、このブログで紹介したが、その時も大きな改善効果は見られなかった。

水質改善は、それほど簡単ではないはずだから、早急に対策を講じなけれは、オリンピックへの影響は避けられない。

オリンピックへの対策も急がれるが、しかしその前に、この大会をこの場所で開いて安全なのかどうか、それ以上に気になった。

新潟マラソンのパンフ

そんなふうになじみのコースを走っているうち、ついに「新潟マラソン」が近づいてきた。

2年ぶりに挑戦するフルマラソンだ。

膝の痛みはまだ少し残り、完全とはいかない。

しかし、宿も早いうちから予約しているし、JRの切符も購入している。

3年連続で、大会を棄権するわけにはいかない。

いけるところまで走ろうと、フルにチャレンジする腹を固めた。

42.195キロはやはり長い

42.195キロは、地図で見ても長い。

この小さなスペースでは、そのコースを詳しく紹介することはできない。

もちろん走れば、42.195キロという距離は体調が万全でも、それなりに長い。

だから、この膝の具合で走り切れるのか、とても不安になる。

しかし無理はしない。そう心に決めて、スタート地点に立つことに決めた。

無理をしないというのは、来年2月の東京マラソンに当選したからだ。

東京マラソンは、幸運にも第一回大会を走ることができたが、フィニッシュが東京駅前に変わった新しいコースもいつかは走ってみたいと思っていた。

もう古希を迎えて、今後それほど大会に参加できる機会もないだろうから、ぜひ完走を目指したいと思っている。

なんとか、新潟マラソンを復活のきっかけにして東京マラソンに臨みたいと思ってはいるが、

さて、どうなりますやら。




浜離宮の石組みの修理に思う

越中島公園

9月11日、日の出もだいぶ遅くなった。

夜が明けて間もなくの朝6時過ぎになると、隅田川河口近くの越中島公園には、太極拳をする人たちが多く集まる。

この日は、秋のさわやかな空が広がっていた。

石組みの修復工事

こちらは今年4月、ランニングの際に浜離宮の横を通った時の写真。

浜離宮は江戸時代、海を埋め立てて造られたものだが、その周りにめぐらした石組みの修復工事が行われていた。

周りを堀のように囲む水路の一部をせき止めている。

近くに掲示されていた看板には、工事は今年2017年1月13日から5月31日までの予定だと記されていた。

およそ4か月半の日程だ。

石組みが崩れている

近くに寄ってみた。

石組みの一部が崩れている。

崩れた石の周辺の石にはナンバーがつけてある。

昔、組み上げられた当時のまま、修復しようというのだろう。

石組みの背後をブルでならす

この写真は5月11日に撮影したもの。

石組み周辺の水路の中には足場が組まれ、石組みの背後では、江戸時代には当然なかった建設用の重機が地盤の慣らし作業を行っていた。

8月水の色が変わっていた

8月14日、修復工事は、まだ続いていた。

せき止められていた水路を見ると、水の色がいつもと違う。乳白色をしている。

稚魚が数えきれないほど

近づいて見てみると、ゴミのように見えたのは稚魚だった。

何の魚かはわからない。
新しい命が爆発的に誕生していた。

石組みの一部に土のうの様なものが

8月25日。まだ石組みは完全に修復されていない。

黒いビニール袋で覆われた土のうのようなものが、詰め物のように補充されている。

崩れ落ちた石が、その背後に見えた。

それをどのように組み上げるのか、まだ解明されていないのだろうと思った。

こうして水を抜いた水路は思ったより深い。石組みの下はコンクリートで固められていた。

梯子が掛けられていたが、石組みの上までのぼるには梯子を14段もあがらなくてはならない。

一段30センチとすると4メートルを超える高さだ。

後期は、9月末まで延伸になっていた

8月25日。

看板を見ると、工期は9月29日まで延伸されていた。

水路は通水されていた

9月9日。

せき止めていた水路は、元のように通水されていた。

石組みは、まだ完全ではなく、詰め物が入ったままになっていた。

背後には、崩れ落ちた石とみられる石が見える。白いテープ、もしくは塗料の様なものがついているのが分かる。

このままでは、9月29日までに修復が完成するのは難しいだろう。

浜離宮は、特別史跡と特別名勝を合わせて指定された、国内有数の文化遺産の一つだ。

こうして、修復作業の様子を見ていると

江戸時代、重機のない中で大規模な建造物を造り上げた先人の知恵と実行力に、まず感心する。

と同時に、その先人の知恵を正しく後世に伝える修復作業の大変さも、改めて感じる。

熊本地震で大きな被害を受けた熊本城と比べると、修復作業の規模は極めて小さいのに、これだけの期日がかかる。

熊本城の修復は、現時点では予想がつかず、今後数十年もかかるといわれている。

文化遺産の修復は大変だと、つくづく思った。

隅田川畔の風景

回漕店

このところ毎朝4時半に起床。

5時から暑さを避けて隅田川沿いを走っている

中央区の鉄砲洲神社近く、隅田川の右岸沿いの道を走っていると、こんな看板が目に入ってくる。

「回漕店」、何かとても懐かしい響きがある。
昔見た時代劇に、回漕問屋という言葉がよく出てきた。
若い人の中には、この言葉を全く聞いたことのないという人もいることだろう。

物資などを船で運送する業務ということだ。
水運が盛んだった昔は、隅田川沿いにたくさんの従事者がいたに違いない。

大川とは、隅田川のことだから、いかにもこの付近の風景に似合っている。

ネットで、この回漕店を調べてみると、「警戒船業務」にあたる人材を募集していた。

海上での衝突事故を防ぎ、安全航行できるようにする仕事だという。

盆の入りの風景

7月の盆の入りに合わせて、この付近の公園や空き地には、
隅田川で亡くなった人たちを供養する「精霊棚」と呼ばれる祭壇が設置される。

関東大震災、東京空襲などで亡くなった人をはじめ、多くの無縁仏の霊を弔うものという。


佃島盆踊り

そして、7月の盆に行われる「佃島盆踊り」の会場では、今年も踊りの準備が進んでいた。

ここでは、他の全国各地の盆踊りのように、明るく元気な歌に合わせて踊るということはない。

江戸の昔から伝わる念仏踊りが今に伝わり、踊り継がれている。

とてもゆっくりと、どちらかというと哀調さえ感じるスローな踊りだ。

毎年変わることなく、時が止まったような空間が、この高層ビルに囲まれた場所に広がる。

もんじゃ通りの再開発

佃島の隣の月島地区。

ここは、地区の名物もんじゃ焼きの店が連なる「もんじゃ通り」。

大規模な再開発が始まっていた。

地上32階の計画

建築計画の看板を見ると、なんとビルの建物は32階建て。

完成は平成33年3月31日とあるから、およそ4年後だ。

もんじゃといえば下町の味、そのもんじゃ通りが4年後この建物の完成で、どんな姿に変わってゆくのか。

走れる限りは、その移ろいを見つめていくことにしよう。

場外市場の火事

そしてこちらは、築地場外市場の「もんぜき通り」。新大橋通りに面して、小さな店が立ち並んでいる。

8月3日の夕方、この付近から出火し、大きな火災となった。

出火当日の朝もこの前を走ったのだが、朝6時にも拘わらず、お客さんで賑わっていた。

この写真は火災から2日後の5日に写したもの。まだ消防車が止まっていて、近くには立ち寄れなかった。

報道によれば、火元はラーメン店の可能性が高いとのことだ。

北朝鮮・金正日の元専属料理人も、その味覚をマスターしようと通ったといわれた人気店だった。

築地場外市場は、築地市場から豊洲に移転しても、この地で営業を続けるとしている。

しかし、市場が豊洲に移転すれば、この場外市場の在り方も、その変化に対応したものに変わってゆかねばならない。

この火事をきっかけに、場外市場は、いったいどう対応してゆくのか少しずつ動き出すのだろう。

こちらも、走りながらその移り変わりを観察させてもらうことにしよう。


なお、5年前の2012年12月27日、このブログで「一坪余りの超繁盛店」というタイトルで上記のラーメン店を紹介しているので、ご覧ください。

http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20121227.html

納涼船に乗ってお台場沖へ


金杉橋近くの船宿

久しぶりに納涼船に乗った。

都心を流れる古川が東京湾に流れ出る手前、金杉橋近くにある船宿に集合。

午後6時を過ぎても気温は下がらず、「暑いですねえ」とのあいさつが飛び交う。

先代林家三平の色紙

内部には、初代・林家三平の色紙もあった。

本人の似顔絵も書いてあり、なかなか特徴をとらえていてうまいものだなと感じた。

ここに日付が入っていないので、いつ頃書かれたものか不明だが、

私が子供の頃、隅田川の花火大会見物や潮干狩りにここから船に乗って向かったあの頃と、それほど遠くない時代のものだろうなと思った。

舟の乗り場

納涼船に乗り込む。

納涼船が何隻か係留されているのは、昔と変わらない。

しかし川の上部が高速道路で覆われて空が隠されてしまったのは、私の子供の頃とは大きく違う。

ずいぶん窮屈に感じる。

レインボーブリッジが見えてきた

山手線や新幹線の鉄橋の下を通り、いくつかの橋をくぐってしばらくすると、レインボーブリッジが見えてくる。

目的のお台場海浜公園前に広がる海は、すぐ目の前。

あっという間についてしまう。

屋形船の屋上へ

夕闇が迫ると、あちらこちらからたくさんの納涼船が集まってきた。

各船は、この付近に停船して、中では納涼の宴が開かれる。

東京湾でとれた天ぷらなどに舌鼓を打ち、さらにはカラオケの競演で盛り上がる。

そんな時に船の屋上に上がってみると、船頭さんが屋根の先で座り込み、海を見つめて涼んでいる。

最近の納涼船には大型のクーラーがついているが、自然の涼しい風の心地よさにはかなわない。

湾岸の都市の風景はこの50年で大きく変わった。

海沿いに高層ビルが立ち並び、海からの涼しい風が入らないことも、都心の夏を厳しいものにしている要因の一つといわれる。

今も、浜松町駅の近くでは、国際貿易センタービルをしのぐほどの巨大なビルが建設中だ。

都心と海との空気のやり取りがますます窮屈になってきそうで、手放しては喜べない。

アイスを販売する船がやってきた

宴会が続く中、窓際で人の声が聞こえた。小船が近づいてきたのだった。

納涼船を回って、アイスクリームを売ってあるく船だった。


夏の夜は、この海岸まで走ってくることが多く、浜辺からは遊覧船を何回も見てきた。

でも、こうして働く船がいるのを知ったのは初めてだった。


「人集まるところに商機あり」

時代が変われど、「商魂」が健在であると、改めて確認した納涼の晩。

「ご苦労様です」と思った。
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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