浜離宮の石組みの修理に思う

越中島公園

9月11日、日の出もだいぶ遅くなった。

夜が明けて間もなくの朝6時過ぎになると、隅田川河口近くの越中島公園には、太極拳をする人たちが多く集まる。

この日は、秋のさわやかな空が広がっていた。

石組みの修復工事

こちらは今年4月、ランニングの際に浜離宮の横を通った時の写真。

浜離宮は江戸時代、海を埋め立てて造られたものだが、その周りにめぐらした石組みの修復工事が行われていた。

周りを堀のように囲む水路の一部をせき止めている。

近くに掲示されていた看板には、工事は今年2017年1月13日から5月31日までの予定だと記されていた。

およそ4か月半の日程だ。

石組みが崩れている

近くに寄ってみた。

石組みの一部が崩れている。

崩れた石の周辺の石にはナンバーがつけてある。

昔、組み上げられた当時のまま、修復しようというのだろう。

石組みの背後をブルでならす

この写真は5月11日に撮影したもの。

石組み周辺の水路の中には足場が組まれ、石組みの背後では、江戸時代には当然なかった建設用の重機が地盤の慣らし作業を行っていた。

8月水の色が変わっていた

8月14日、修復工事は、まだ続いていた。

せき止められていた水路を見ると、水の色がいつもと違う。乳白色をしている。

稚魚が数えきれないほど

近づいて見てみると、ゴミのように見えたのは稚魚だった。

何の魚かはわからない。
新しい命が爆発的に誕生していた。

石組みの一部に土のうの様なものが

8月25日。まだ石組みは完全に修復されていない。

黒いビニール袋で覆われた土のうのようなものが、詰め物のように補充されている。

崩れ落ちた石が、その背後に見えた。

それをどのように組み上げるのか、まだ解明されていないのだろうと思った。

こうして水を抜いた水路は思ったより深い。石組みの下はコンクリートで固められていた。

梯子が掛けられていたが、石組みの上までのぼるには梯子を14段もあがらなくてはならない。

一段30センチとすると4メートルを超える高さだ。

後期は、9月末まで延伸になっていた

8月25日。

看板を見ると、工期は9月29日まで延伸されていた。

水路は通水されていた

9月9日。

せき止めていた水路は、元のように通水されていた。

石組みは、まだ完全ではなく、詰め物が入ったままになっていた。

背後には、崩れ落ちた石とみられる石が見える。白いテープ、もしくは塗料の様なものがついているのが分かる。

このままでは、9月29日までに修復が完成するのは難しいだろう。

浜離宮は、特別史跡と特別名勝を合わせて指定された、国内有数の文化遺産の一つだ。

こうして、修復作業の様子を見ていると

江戸時代、重機のない中で大規模な建造物を造り上げた先人の知恵と実行力に、まず感心する。

と同時に、その先人の知恵を正しく後世に伝える修復作業の大変さも、改めて感じる。

熊本地震で大きな被害を受けた熊本城と比べると、修復作業の規模は極めて小さいのに、これだけの期日がかかる。

熊本城の修復は、現時点では予想がつかず、今後数十年もかかるといわれている。

文化遺産の修復は大変だと、つくづく思った。
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隅田川畔の風景

回漕店

このところ毎朝4時半に起床。

5時から暑さを避けて隅田川沿いを走っている

中央区の鉄砲洲神社近く、隅田川の右岸沿いの道を走っていると、こんな看板が目に入ってくる。

「回漕店」、何かとても懐かしい響きがある。
昔見た時代劇に、回漕問屋という言葉がよく出てきた。
若い人の中には、この言葉を全く聞いたことのないという人もいることだろう。

物資などを船で運送する業務ということだ。
水運が盛んだった昔は、隅田川沿いにたくさんの従事者がいたに違いない。

大川とは、隅田川のことだから、いかにもこの付近の風景に似合っている。

ネットで、この回漕店を調べてみると、「警戒船業務」にあたる人材を募集していた。

海上での衝突事故を防ぎ、安全航行できるようにする仕事だという。

盆の入りの風景

7月の盆の入りに合わせて、この付近の公園や空き地には、
隅田川で亡くなった人たちを供養する「精霊棚」と呼ばれる祭壇が設置される。

関東大震災、東京空襲などで亡くなった人をはじめ、多くの無縁仏の霊を弔うものという。


佃島盆踊り

そして、7月の盆に行われる「佃島盆踊り」の会場では、今年も踊りの準備が進んでいた。

ここでは、他の全国各地の盆踊りのように、明るく元気な歌に合わせて踊るということはない。

江戸の昔から伝わる念仏踊りが今に伝わり、踊り継がれている。

とてもゆっくりと、どちらかというと哀調さえ感じるスローな踊りだ。

毎年変わることなく、時が止まったような空間が、この高層ビルに囲まれた場所に広がる。

もんじゃ通りの再開発

佃島の隣の月島地区。

ここは、地区の名物もんじゃ焼きの店が連なる「もんじゃ通り」。

大規模な再開発が始まっていた。

地上32階の計画

建築計画の看板を見ると、なんとビルの建物は32階建て。

完成は平成33年3月31日とあるから、およそ4年後だ。

もんじゃといえば下町の味、そのもんじゃ通りが4年後この建物の完成で、どんな姿に変わってゆくのか。

走れる限りは、その移ろいを見つめていくことにしよう。

場外市場の火事

そしてこちらは、築地場外市場の「もんぜき通り」。新大橋通りに面して、小さな店が立ち並んでいる。

8月3日の夕方、この付近から出火し、大きな火災となった。

出火当日の朝もこの前を走ったのだが、朝6時にも拘わらず、お客さんで賑わっていた。

この写真は火災から2日後の5日に写したもの。まだ消防車が止まっていて、近くには立ち寄れなかった。

報道によれば、火元はラーメン店の可能性が高いとのことだ。

北朝鮮・金正日の元専属料理人も、その味覚をマスターしようと通ったといわれた人気店だった。

築地場外市場は、築地市場から豊洲に移転しても、この地で営業を続けるとしている。

しかし、市場が豊洲に移転すれば、この場外市場の在り方も、その変化に対応したものに変わってゆかねばならない。

この火事をきっかけに、場外市場は、いったいどう対応してゆくのか少しずつ動き出すのだろう。

こちらも、走りながらその移り変わりを観察させてもらうことにしよう。


なお、5年前の2012年12月27日、このブログで「一坪余りの超繁盛店」というタイトルで上記のラーメン店を紹介しているので、ご覧ください。

http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20121227.html

納涼船に乗ってお台場沖へ


金杉橋近くの船宿

久しぶりに納涼船に乗った。

都心を流れる古川が東京湾に流れ出る手前、金杉橋近くにある船宿に集合。

午後6時を過ぎても気温は下がらず、「暑いですねえ」とのあいさつが飛び交う。

先代林家三平の色紙

内部には、初代・林家三平の色紙もあった。

本人の似顔絵も書いてあり、なかなか特徴をとらえていてうまいものだなと感じた。

ここに日付が入っていないので、いつ頃書かれたものか不明だが、

私が子供の頃、隅田川の花火大会見物や潮干狩りにここから船に乗って向かったあの頃と、それほど遠くない時代のものだろうなと思った。

舟の乗り場

納涼船に乗り込む。

納涼船が何隻か係留されているのは、昔と変わらない。

しかし川の上部が高速道路で覆われて空が隠されてしまったのは、私の子供の頃とは大きく違う。

ずいぶん窮屈に感じる。

レインボーブリッジが見えてきた

山手線や新幹線の鉄橋の下を通り、いくつかの橋をくぐってしばらくすると、レインボーブリッジが見えてくる。

目的のお台場海浜公園前に広がる海は、すぐ目の前。

あっという間についてしまう。

屋形船の屋上へ

夕闇が迫ると、あちらこちらからたくさんの納涼船が集まってきた。

各船は、この付近に停船して、中では納涼の宴が開かれる。

東京湾でとれた天ぷらなどに舌鼓を打ち、さらにはカラオケの競演で盛り上がる。

そんな時に船の屋上に上がってみると、船頭さんが屋根の先で座り込み、海を見つめて涼んでいる。

最近の納涼船には大型のクーラーがついているが、自然の涼しい風の心地よさにはかなわない。

湾岸の都市の風景はこの50年で大きく変わった。

海沿いに高層ビルが立ち並び、海からの涼しい風が入らないことも、都心の夏を厳しいものにしている要因の一つといわれる。

今も、浜松町駅の近くでは、国際貿易センタービルをしのぐほどの巨大なビルが建設中だ。

都心と海との空気のやり取りがますます窮屈になってきそうで、手放しては喜べない。

アイスを販売する船がやってきた

宴会が続く中、窓際で人の声が聞こえた。小船が近づいてきたのだった。

納涼船を回って、アイスクリームを売ってあるく船だった。


夏の夜は、この海岸まで走ってくることが多く、浜辺からは遊覧船を何回も見てきた。

でも、こうして働く船がいるのを知ったのは初めてだった。


「人集まるところに商機あり」

時代が変われど、「商魂」が健在であると、改めて確認した納涼の晩。

「ご苦労様です」と思った。

ハナショウブの季節



アクアボード

5月26日。お台場海浜公園。

初めて見る光景が広がっていた。

噴射装置の付いたボードに乗って、人が空に浮いていた。

こんなふうに回転したり

時折、こんなふうに回転したりする。

あとで調べると、これはアクアボードと呼ばれる新しい水上スポーツだった。

この夜、この場所で開かれた「未来型花火エンターテインメント」と銘打った有料イベントに参加するイベントの一つで、パフォーマーが練習をしていたのだった。

新しい技術が生まれると、それに伴って新しいスポーツがどんどん生まれてくる。

まさに「遊びをせむとや生まれけむ」だ。

初夏の空

6月5日。
東京港では夏空が広がっていた。

まだ、梅雨の気配は感じられない。

東御苑の二の丸庭園

6月7日。皇居東御苑の二の丸庭園。

小堀遠州が築堤したという庭園に、ハナショウブを見にいった。

初夏の色合い

やはり、この庭園のハナショウブはとても美しい。

まるで絵葉書のようだ。

ハナショウブ2

この日も、訪問者の半分近くが外国人だった。

「きっと日本の庭園、日本の花の美しさに魅せられているに違いない」

そう思うと、誇らしくも感じた。

そしてこの日は、その足で荒川の堤防に行き、走っていた。

堀切菖蒲園

堀切橋まで来ると、近くに「堀切菖蒲園」があるのを思い出した。

せっかくだからとランニングコースから外れて、あの有名な菖蒲園を訪ねてみた。

ちょうどハナショウブの花盛り。

東御苑の数倍もの株が植えられていて、今が見ごろになっていた。

白竜の爪

この花は、名札を見ると「白竜の爪」とある。

遠目で見ると、なるほど白い爪のように見えた。

写楽

これは「写楽」と名がついている。

そういわれると、この花の存在感と自己主張は、何となく謎の浮世絵師・写楽に共通するように見えてくる。

沖の波

これは「沖の波」、なるほど遠くに白波が立っているようだ。

中村汀女の句

たくさんのハナショウブの陰に隠れるようにして、中村汀女(1900~1988)の句碑が見えた。

「花菖蒲 かがやく雨の 走るなり」

昭和59年6月20日、ここを訪れた際につくったと書かれている。

”かがやく雨”という言葉が印象的だ。

花盛り

現在、沖縄、九州から関東・甲信まで梅雨入りしたとみられると気象庁は発表している。

しかし、これまでは全国的に雨量が例年より少なく、今後の推移次第では水不足も心配される。

昭和53年の夏、福岡は記録的な水不足になり、喫茶店に入っても水が出ないということがあった。

その翌年、福岡に転勤したので、深刻な水不足の話をあちこちで聞いたことを覚えている。

近年、各地で深刻な気象災害が頻発。その激しさは、自分が子供だった頃より、明らかに増していると感じている。

地球温暖化に伴う影響だと多くの人が感じているのに、そのための対応の足並みがそろわない。

「残念なこと」と言って、済ませていい問題ではないのだろう。


最後にアクアボードの動画をご覧ください。

季節は初夏へ~花と台場と豊洲の5月

進む道路建設・豊洲市場近辺

移転をめぐって混迷が続く豊洲新市場の周辺では、騒ぎをよそに、周辺道路の整備が着々と進んでいる。

この写真は、晴海大橋の上から撮影したもの。

ブルーの建築資材に覆われているのが建設中の高速道路で、

ちょうど「ゆりかもめ」のレールの上を高速道路がまたごうとしている。

写真右手に見える建物は、豊洲新市場の建物。

写真に写る道路を、手前から後方に進むと、銀座4丁目の交差点に行き当たる。

銀座三越や和光堂がある交差点だ。

豊洲大橋

こちらの写真は、あたらしく造られた豊洲大橋。
ゆりかもめの「市場前」駅から撮影したものだ。

まだ、一般の車は走ることができないが、工事用の車両は頻繁に通行している。

この橋をわたって、まっすぐ進むと、築地市場に行き当たる。

その築地市場では、つい先ごろ、地下のボーリング調査の結果、環境基準を超える土壌汚染が明らかになり、移転問題は一層混迷を深めている。

昨年11月の移転予定日から、もうすでに半年が経過してしまった。

あしかがフラワーパークの雷鳴

毎年、大型連休の頃になると、あしかがフラワーパークから、藤の花が見ごろになったとメールが届く。

案内に誘われて、久しぶりにバスツアーに参加して藤の花を見に行ってきた。

訪ねたのはみどりの日、
「大気が不安定」との天気予報通り、夕刻から「一転にわかに掻き曇り」、ご覧のような雷鳴に見舞われた。

藤の大木

しかし、激しいにわか雨と雷鳴のおかげで、それまで外国人観光客も含めて混雑していた藤の大木の周辺から人影が消え、

ゆっくりと見事な花を観賞し、写真を撮ることができた。

羊山公園の芝桜

こちらは、秩父市の羊山公園の芝桜、あしかがフラワーパークに行く前に訪れた。

秩父市のシンボル「武甲山」を背景に、絵葉書のような写真が取れた。

こちらでも、外国人旅行者に多く出会った。

晴海ふ頭に自衛艦

5月9日、レインボーブリッジを走っていると、ふだんは大型観光船などが係留している晴海ふ頭に、見慣れない船が止まっている。

自衛隊の艦船のようだ。

北朝鮮の弾道ミサイルの発射で、東アジアの緊張が高まっていることと関連があるに違いない、と思った。

堀切水辺公園

5月25日、荒川堤を走った。

荒川の左岸。葛飾区堀切にある[堀切水辺公園」。

この場所からすぐ近くに江戸時代から続く「堀切菖蒲園」がある。

ちょうど今頃「見ごろ」を迎えているはずと思ったが、この日は立ち寄らずに荒川左岸をさらに北上した。

千住大橋

千住新橋から国道4号線・日光街道に出て南下する。

隅田川にかかる千住大橋に差し掛かる。

奥の細道で、芭蕉が深川の庵を船で出て隅田川を上り、ここから歩いて陸奥(みちのく)へと旅立った場所だ。

橋の名前も、橋の上部の鉄骨に、単に「大橋」とだけ書かれていて、それなりの矜持と風格が感じられる。

橋のたもとには「矢立初めの地」と書かれた碑が建っている。

芭蕉の「奥の細道」の旅は1689年・元禄2年のこと、今から328年前になる。

「奥の細道」冒頭の
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず・・・・・」

このくだりは、日本の文学史上屈指の名文句だと思い、ボケ防止のために、時々電車の中などで口ずさんている。

千住大橋の下には、奥の細道に旅立つ芭蕉と曽良の絵も描かれていて、絵を見ながらその文句を思い出していた。

浅草寺五重塔

ここからさらに南下し、三ノ輪から国際通りを経て浅草に向かう。

三社祭は先週に終わったばかり、しかし、この日も外国人をはじめたくさんの人たちで賑わっていた。

五重塔の下では、まだつつじの花が色鮮やかに咲いていた。

季節は、そろそろ梅雨へと向かう。

長期予報では、今年の夏は暑くなりそうとのこと。

地球温暖化について関心を持たざるを得ないが、、その面からもアメリカ大統領の動向から目が離せない。
近頃、きな臭い話ばかりで、かなり心配だ。
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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